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旧阿寺橋 補足編

長野県木曽郡大桑村大字野尻

公開日 2012 7.20

【地図】

前回『旧阿寺橋』のレポを公開したのは今年2012年4月20日。実はその2日後の4月22日に、かの「うさ★ネコサンド/エボリューション」の管理人である、uchiyamaさまから「旧阿寺橋情報」としてメール、及び貴重な写真を複数枚いただいた。
本来ならばすぐさま記事化して(uchiyamaさまからの承諾は得ておりますが)反映するべきだったのだが、何故だか私tyafficが“記事を書くモチベーションが急激に低下する”という、所謂「スランプ」に陥ってしまい、初公開から3ヶ月近くも間を空けてしまった…。嗚呼…(この場を借りてuchiyamaさまにはお礼とお詫び申し上げますm(_ _)m)

さてさて、そのuchiyama氏からいただいたメール(画像)なのだが、それは、なな、なんと“解体中”の旧阿寺橋~っ!何とuchiyama氏は、私が最後に訪れた2009年2月16日から1ヶ月余り後の同年3月29日に来訪されていて、解体中の旧阿寺橋をバッチリと写真に捉えていたのである。正直最初に写真を見た時はビビったよ…。
それでは、その解体中の旧阿寺橋衝撃写真に~、と行くその前に、前回の記事で私がボソった「木曽川左岸側の親柱の有無」について、uchiyama氏がご教示してくれたのでまずそれに触れておく。

(写真提供:uchiyama氏)

これはuchiyama氏が2008年7月に撮影した旧阿寺橋左岸側である。
道の取付が盛り土と新たな道によって遮断されている。かくも“証拠の隠滅”は前の年からこうして始まっていた証拠写真なのだが、uchiyama氏曰わく、旧阿寺橋完成当初は左岸側にも親柱が有ったのだが、後年、左岸の橋台部分が作り直され、その時に親柱が撤去されたようだ、との事。

(前回の記事より)

やっぱ無かったんだな…、親柱…(ちょっとだけホッとした)

さて、これは前回の記事にも載せた、私が最後に見た2009年2月16日の旧阿寺橋の姿。それから41日後の3月29日には…。

(写真提供:uchiyama氏)

こんな事にっ!
木曽川右岸から見た旧阿寺橋は周りを鉄塔やらケーブルワイヤーにガラガラと囲まれて、しかもかなり解体が進んでいるのか人や車が通る道の部分【床版】が撤去されている!
現役の橋からすれば、40日やそこいらの時間の経過などは何て事はないだろう。
ただそれだけ間、どこかにある時計の針が進み、人や車を通しながら日を浴び、また夜空を眺めるだけの時の流れだと思う。
しかし、廃止はおろか“撤去”が決まった橋にしてみれば、まさしく風前の灯火。脈は弱まり、いつ臨終の宣告を受けてもおかしくない、無限の時の長さを感じる僅かな時間だったのかも知れない。

(写真提供:uchiyama氏)

『お願い 通行止予告 旧阿寺橋上部工撤去工事のため左記の日時通行止となりますので、ご協力お願いします。 平成21年4月11日 午前8:00~午後5:00迄 宮地建設工業(株)』
つまりは少なくとも平成21年(2009年)4月11日までは旧阿寺橋の何らかが残存していた事になる。

これは私が2009年2月16日に撮影した旧阿寺橋木曽川右岸側に立っていた工事案内の看板。
真ん中にある工事内容表示「平成20年度 旧阿寺橋撤去に伴うグラウンドアンカー設置工事」を読んだ当時は「橋の撤去に何で【グラウンドアンカー】を設置するんだろうか?」と疑問に思った。

(写真提供:uchiyama氏)

また、uchiyama氏提供の写真を見ても【前の写真】にも写っている(左岸右岸対で旧阿寺橋を挟み込むように立っている)緑色の鉄塔等、解体に伴う一連の構造物が正直一体何なのか分からなかったのだが、調べるうち【鋼橋ネットサービス-架設技術情報】というサイトの【『鋼橋の代表的な架設工法の説明』】にある『ケーブルクレーンによる直吊工法』の項を読んでやっと何なのかが分かった。
もはや上記リンク先が答えそのもので、私如きがくどくど説明する必要も余地もないのだが、少なくともグラウンドアンカー設置については「ケーブルエレクション直吊工法」におけるバックステイケーブルが繋がる末端のアンカーブロックを意味し、また旧阿寺橋は、この世に生まれた時の逆再生をしてその姿を消した事が分かった(もっとも旧阿寺橋架設の際はどんな架設工法だったのかは分からないが…)

これは今年2012年5月4日に、一枚上のuchiyama氏提供の写真において鉄塔の後ろにあるブルーシートが敷かれている部分(グラウンドアンカー・アンカーブロックの部分)を私が撮影してきたのだが、ただ単に木が無いという事だけが、旧阿寺橋の解体撤去の痕跡だった。最後に。前回も載せた『轍のあった道』の管理人、磯部祥行さま提供のこの写真をやっぱり眺めたい。

(写真提供:磯部祥行氏。『写真で見る大桑町100年史』より)

この美しい姿を私は忘れない。忘れない…。でも、さようなら…。

おわり

(協力:uchiyama様。磯部祥行様)
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  1. 2012/07/20(金) 02:56:00|
  2. ●橋梁
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