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旧阿寺橋

長野県木曽郡大桑村大字野尻

訪問日 2009/1/16

そして、その橋は消えた…。

【地図】

【大きい地図はちちら】

長野県木曽郡大桑村にて、木曽川に架かる阿寺橋。
現在は地図にあるとおり、平成20年竣工の三代目「阿寺橋」がその任に就いている。が、つい最近。ほんの3年程前までは、その先代二代目にあたる「旧阿寺橋」が架かっていた。
当記事は、現在は既に撤去されてしまった「旧阿寺橋」の末期の姿を紹介するものなのだが、まずその前に、当調査室と相互リンクをさせていただき、また私個人も大変お世話になっている、磯部祥行氏のサイト『轍のあった道』にある[阿寺川橋 顛末/『トラック野郎 熱風5000キロ』に捧ぐ]の記事をお読みいただきたい。

何故ならば、当記事はそれ前提で進むからだ!(←手抜きだろ!でも、とにかく、磯部氏の記事には、この阿寺橋界隈の歴史や昔の写真(初代一代目の木造吊り橋「阿寺橋」等々)が、詳しく掲載されておりますので是非ともお読みくださいませ!)

と、言う訳で、それでは行きますか。

旧阿寺橋、木曽川左岸(野尻)側。
いきなりしくじった。親柱の銘板を撮るのを忘れた。
後程出るが、対岸阿寺側の親柱はきちんと撮影しているのに何でこちら側の親柱を撮り忘れたのかが分からない。自分の性格からして、たとえこの時に撮り忘れたとしても、対岸側親柱を撮影している時に気付いて慌てて引き戻り再度撮影している筈なのだ…。
記憶が曖昧だが、あるいは既に銘板が剥がれていたか外されていたかで存在せず、撮影するに値しないと判断したかもしれないが、もはや完全撤去された今となってはどうにもならない。

今は亡き、二代目旧阿寺橋からすると、息子とも言える三代目阿寺橋から撮影。
父ちゃん「旧阿寺橋」は、木曽川左岸から、一径間鋼桁→二連ワーレントラスの計三径間で架かっていた事が分かる。

二連ワーレントラス部分。

息子、三代目阿寺橋を渡り、今度は木曽川右岸(阿寺)側…。実に美しい…。

一番最初、木曽川左岸側の親柱を撮り損ねた写真でもお分かりだろうが、この時、既にこの橋は通行止め状態で、両側にA型バリケードが置かれていた。
ちなみに写真の右に写っている大きなアーチが三代目阿寺橋(ニールセンローゼ桁橋)だ。
でっかく立派になったよな。息子よ…。

旧阿寺橋。木曽川右岸。下流側の親柱銘板。

『あてらばし』

自分の拙い経験上で言うと『〇〇橋』とある銘板の平仮名表記は、大体『〇〇“はし"』となっていて『〇〇“ばし”』と、濁っていないのがほとんどなのだが、これは珍しい部類に入ると思う。

同じく木曽川上流側。
剥がれている…。
まあ順当に考えれば『木曽川』か『阿寺橋』か、『竣工年月日』の、いずれかが付いていたのだろうが、先程も言ったが、撤去された今となっては、それを考えた所で答えはほぼ見つからない(ちなみにこの「旧阿寺橋」の竣工年は昭和35年である)

昭和35年(1960年)から平成20年(2008年)までの48年間、約半世紀を頑張り通したこの橋の姿を今では見る事は出来ない。
新橋へ架け替えられた理由としては、単に橋の老朽化も考えられるが、やはりこの橋の利用者の大半がここより南にある阿寺温泉【フォレスパ木曽あてら荘】の利用客だと言う点が大きいのではなかろうか。
この有効幅員では、観光バスどころか普通自動車でさえも離合が難しい。
その為、利便性の向上の為に三代目の新橋へ架け替えられた結果、旧橋は車道橋からの仕事から外されて、歩道橋(歩道者専用橋)へ…、となる、ありがちな“古いながらも立派な橋梁の後生”とはならずに、すっぱり撤去されてしまった。と、いう事なのだろう…。

ところで、この旧阿寺橋。一体いつ解体撤去されたのかが分からない。





上の3枚の写真はちょうど1ヶ月後の2009年2月16日に撮影したものだが、見ての通りこの時はまだ残存していた(橋台部分に足場が組まれている事に注目。また写真にも写っているがこの日は橋上に多数の作業員がいた)
しかし、それから約5ヶ月後の7月初頭に再訪した際には、磯部氏の記事の通り、綺麗さっぱり無くなっていたと記憶している。

これは【フルサイズフリー素材【長野県木曽郡大桑村 阿寺橋】】という所から拝借した写真なのだが、現在では木曽川右岸側に、橋台部分だけが残り、2つあった橋脚は全て撤去されているのが分かる。
【在りし日の頃との比較はこちら】
さて最後に、この写真をご覧いただきたい。

(写真提供:磯部祥行さま。『写真で見る大桑町100年史』より)

見てくれ!この凛々しくも力強い姿を!
キャプションでは『阿寺橋(昭和35年11月)』とあるから、まさしく出来立てホヤホヤに撮影された『阿寺橋』の容姿だ。
自分の心情を吐露するならば、解体撤去された事は残念に思う。しかしこの眩しいぐらいに輝いている「阿寺橋」の姿を見ると、心の底から安堵の気持ちがじんわりと湧き上がって来るのは自分だけだろうか。おわり。と…、言いたいのだが、次回!

急転直下!衝撃の【補足編】へと続く!

(協力:磯部祥行さま)
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  1. 2012/07/20(金) 02:00:00|
  2. ●橋梁
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