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旧国鉄 中央西線 旧線 中平隧道 中編

長野県木曽郡木曽町福島

訪問日 2009/1/23


中平隧道の上松駅側(名古屋方面)坑口。
明治44年に全線開通した中央本線の内、当区間(上松駅~木曽福島駅間)は名古屋側から始まった延伸工事の末、明治43年11月25日に開業しているから、すなわちこの中平隧道の竣工もその近辺だと思う。

ところで、前編ラストにて「さて、行くか」と言ったは良いが、私の撮影道具はただの携帯電話(のカメラ機能)だけ。
隧道に入ってしまったら何を撮影してもフラッシュ(ストロボ)機能がない為に、ただの黒いベタ塗り画像しか残らない。
無論私が愛用しているLEDライト『SF-502X』は持参しているが、それを併用撮影した所でダメダメなのも既に知っている。(ちなみにここでも懲りずに【試してみた】

と、言う訳でいきなり闇黒の隧道へ入る前に太陽の光が届いている範囲で、もう少しこの隧道の構造を見ておこう。
これは前編ラストの写真だが、抗門は総石造りで、内部の巻き立て(つまりは天井部分)は煉瓦によるものだ。

煉瓦巻き立ての迫石(せりいし)部分と、石積みの迫受石(せりうけいし)の境(これを「スプリングライン」だとか「起拱線」と呼ぶ。簡単に言えば“壁”と“天井”の境目だ)に、ケーブルが通されている。

隧道の天井。

電化される以前、何度もこの隧道を通った蒸気機関車が煙突から吐き出した煤煙で真っ黒だが、結晶化した煤が、まるで瘡蓋が剥がれるかのように落ちたのだろう。煉瓦の赤い色が見える。

と、ここで色々撮影していてひしひしと感じ始めた事がある。

背中が寒い…。


振り返って撮影。
上松側の中平信号場では、何ら空気の流れは感じなかった。が、この中平隧道の坑口に近付くにつれ、徐々に空気が動き出し、また束ねられて、やがては風となり、ついにはまるで周囲の空気を丸ごと吸い込まんばかりに轟音、とまでは言わないが、耳先でひゅーひゅーと音を立てながら隧道に向かって吸い込まれている。
ここは風の通り道なのだ。

早速石積みの部分。廃でも現役でも見かけるこの数字。何なのか…。

振り返れば、鉄道隧道に多く見られる馬蹄形断面。
馬蹄形ナイスっ!

再びしばらく進むと(上松側から見て)左側に退避抗があった。
写真では分かりづらいが、漏水が氷って氷柱が出来ていた。また退避抗には、ありがちな卑猥な本が氷漬けで退避していた…。
私の記憶では上松側から木曽福島側出口まで、これを含めて左側3箇所に退避抗があったと記憶している。
つまり、延長166.97mのこの中平隧道内にて、この退避抗が等間隔で配置されていたと仮定するのならば、およそ約42m間隔に配置されていた事になる。
ちょっと進む。

この隧道が廃隧道ではない証明(照明)である明かりを灯す蛍光灯。
前編にて、中央本線には付け替え等による旧線跡がたくさんあると述べたが、その廃止された旧線跡には廃止された隧道もたくさんある。
そしてそんな廃された数多の隧道の中でも、少なくとも私が知る限り、中央西線の区間(いや中央東線を含めた中央本線全体と言っても良いと思う)において、今でも竣工当時の姿を留めつつ、尚且つ市町村道等に転用されて未だ現役で活躍しているのは、この中平隧道だけである。
尚、上の写真でも分かるが、この辺り(隧道中間地点の履工約20m~30m間)の巻き立て部分は、モルタルによる補修が成されていて、素地である煉瓦は見えない。
おそらくは単なる漏水対策だと思うが、あるいは電化する際(後述)に架線を取り付ける為の施工なのかも知れない。

上松側を振り返って撮影。
ひゅー…、ひゅー。びゅー!ひゅー(←隧道の中を吹き抜ける風の音)
もう少し進み、隧道のちょうど中間地点で木曽福島側坑口が見えた。この隧道が右にカーブしているのがよく分かる。上松側からは反対側坑口の明かりが見えなかったのはこのせいだ。

振り返って撮影。確かにカーブしている(てか、似たような写真ばかりでごめんよ…。兎にも角にもストロボフラッシュ機能がない私の携帯電話で撮影出来るものと言ったら、外明かりが差し込む隧道の坑口ぐらいしかないのだ…)
で、もうちょい進む。

雪解け水を伴った車のタイヤ痕を見ると、この隧道のカーブの加減が分かる。

ビュー!ビュー!(←風の音)

ぬ~け~…。

った!

とりあえず木曽福島側抗門。ちょうどこの時、地元民が運転しているであろう車が隧道に入って行った(写真に車のテールライトが写っている)

木曽福島側抗門の各箇所。

地被りは少ない。



『列車注意』
【上松側】にも同じペイントが残るが、こちら木曽福島側の方がはっきりと残っている。
で、それはそれとして今度は上松側から吹く風が今までの背中ではなく顔面に吹き付けて来る。

脇に立つ架線柱。【拡大写真】を見ると『S48』とある。
この区間が電化されたのは昭和48年であるからぴったりと合致する。が、正確には当区間が該当する塩尻駅~中津川駅間の電化は昭和48年5月27日なので拡大写真に見える『S48 7』の“7”が謎だ。

で…、ちょうどこの写真を撮った時ぐらいだ。自分の体の異変に気付いた…。
それはほんの些細な事で、携帯電話のカメラのシャッターボタンを押すのに失敗したのだ。無論それは機械的な不良ではない。
シャッターボタンを押す右手親指に力が入らない、つまりは手の指が悴んで力が入らないのだ。

「……。まあ、そりゃいくら陽気が暖かいからといって、真冬に手袋をしない(“廃探索”において、基本私は軍手、手袋は季節を問わず使わない)どころか、薄着姿でこんな事をしていれば、手も悴むよな…」


と、最初は半分ニヤケ面でいたのだが…、もう一回写真を撮ろうと携帯電話を構えたら、スルリと手元から抜け落ちた…。
幸い首に繋がっているストラップのおかげで落下損傷は免れたのだが、それは幸いでも何でもない…。
自分の胸元で、ストラップ紐からブラブラと垂れて揺れ、ぶら下がる我が携帯電話を見て、正直、血の気が引いた…。

どうやら「風の通り道」に長居をし過ぎちまったようだ…。

【後編】へ続く。
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  1. 2011/06/02(木) 04:00:00|
  2. ●隧道(トンネル)
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