長野県伊那市長谷黒河内
訪問日 2009/5/18
【現在地】かつては林鉄車輌を通し、現在は自動車を通す「鷹岩隧道」に今、初夏の夕陽の明かりが通る。
さて、この「鷹岩隧道」の竣工年がいつなのか?
さっぱり分からない。と、言うか、そもそもこの「黒河内森林鉄道」の竣工年やら廃止年が全く分からない。
後日、現地にて、地元古老に聞き取り調査をしたのだが、それを語る証言者が述べる廃止年は「昭和32年だ!」とも「水害があった昭和36年じゃねえかい?」とも「確か昭和39年だったと思う…」と、それぞれバラバラだった(私が思っていた廃止年は「水害があった昭和36年」だと思っていた。)
だから「分からなかったのだ!」と、言えば、これはさぞ難しい物件なのだと思われるかも知れないが、そんな程度の事は図書館へ行き村史や町史を読めば一発で解決するだろう。
これは単に、図書館やそもそも本、書籍を読む事が苦手である、私の単なる怠慢だ…。
現地(2009/5/18)では、そんな事は全く考えずに前へ進んだ。

先程の「鷹岩隧道」から2、300m程進むと、また橋が現れた。

カーブしている以外は「鷹岩橋(仮)」と同じ構造だ。

脇にある看板の内容は鷹岩橋と同じ。
てか“老朽化”って言葉に萌えない?……萌えないか…。

さっきは隧道ばかりに気を取られて、あまり橋の写真を撮らなかった。が、今回は充分撮った!
橋梁ファンの方々は存分に見てくれ!

脇から撮影。

橋上。

ちなみに、私が壊したのではありません。

分かる人にはこのレールの断面寸法でレールの規格が分かるのだろうが、私にはさっぱり何が何だか…。
「分かるぞ!」と、いう方々は、是非とも
【こちら比較写真へ!】
更に橋の下を覗き込むと、ついさっきまで頭の上を流れていた用水路が橋の下を流れてる。騙し絵を見ているみたいで面白い。

欄干部分。

近影。

橋を渡り切ってから振り返って撮影。これで満足してくれたかい?
そうかい。ああ、良かった…。
おわり。
…、な訳がない!
どうか石だけは投げつけないでくれ!補足があるのだ。
これが実に悔しいのだが…。
当記事を書いていて、いつ話せば良いのか分からずに、ついぞここまでズルズルと告白するのを伸ばして来たのだが、私はこの日を含めた(2009/5/11 5/18)伊那市営の「シャトルバスの発着所」の待合室には一度も入らずに(入るチャンスと言えば、行きと帰りで少なくとも2回はあったにも関わらず)この後の探索を終えた後も、素通りで帰宅してしまった…。
だから、以下述べるのは、全くのいつ何年、何月何日だったのかはすっかり忘れてしまった、所謂“後日談”である。だから簡潔に述べたい。

例の「伊那市営シャトルバスの発着所」の待合室には「南アルプスの山々」や「そこに咲く花」等々、色々な写真が展示されているのだが、そんな写真の中にて、この「黒河内森林鉄道」の往時の頃のモノクロ写真が数枚展示されている。
そしてその中には「鷹岩の隧道」と題する“木橋時代”の「鷹岩橋(仮)」もあった。
前編での大失敗探索から始まり「自主制作ビデオ」放送を観てから、更に更に記事を書いている今…。前回の中編でも述べたのだが、どうやら私はこの「黒河内森林鉄道」からは、本当に嫌われているみたいだ。
そもそも、我ながら当記事の前編で記した訪問日が「2009/1/29 5/11 5/18 2011/2/21 2/23」と、一体一件の探索に、どんだけの年月と日々と時間をかけているんだよ?と思ったのだが、それは私自身の単なる怠慢が引き起こした結果なのだろうよ…(少なくとも、私はそう自覚している)
さて、あれから2年近く経った。気になった事がある。
それはとても素朴な事だ。
あの橋から先はどうなっているのだろう…。軌道跡はどこに向かっているんだろう…。
である。
そんな訳で、2011年の2月21日と23日に再び行ってみた(以下、写真は2011/2/21 と 2/23 に撮影したゴチャ混ぜです…。もはや苦笑するしかない)

戸台大橋。
【地図】【大きい地図はこちら】前回訪れた時の
【あの廃レール橋】から約1km程小黒川を遡行すると、この戸台大橋がある。ちなみにここまでの道中風景は相変わらずの左は山(崖)右は小黒川で、途中30~40匹ぐらいの猿大軍団と出くわした事以外は、特段変わった風景はない(故に写真も撮らなかった)
ゲートで閉められているこの橋を行くのが「南アルプス林道」(至 北沢峠:「山梨県道37号南アルプス公園線」)で、写真には写ってはいないが、この写真左側に分岐する道が「黒河内林道」となる。

黒河内林道から振り返って戸台大橋を撮影。

黒河内林道。

上の写真でも見えているが、ちょっと進むと、また分岐が現れる。
左が黒河内林道だ。
さて、軌道跡はどちらだろうか…。

とりあえず、林道から右へ外れて行ってみる。何だかそれっぽいし。ちなみに下は。

やけに広い。停車場跡だったりして…。

らしいね…。らしいよ…。
ちなみに写真の左上に見える白いラインは、黒河内林道のガードレールだ。緩やかながらも、分岐地点から約200m程歩いただけで、もうあれだけの高さを稼いでいる。

現れたゲートを“ヌ~ン”する。「立ち入り禁止」ではないので問題はない。

更に100m程進むと、道は築堤となり、右に曲がる。
あ、橋があるね…。

ふ~ん…、ポニーワーレントラス橋だね…。テンション低めなのはどう見ても林鉄用のものではなくて、工事車両用の仮設橋だからだ…。
遠くからチラチラ見えた時の、あの“ときめき”を返してくれ!と、言いたいが、軌道廃止後に架設されたものかも知れないし、まだこの道自体が軌道跡であった可能性を否定するものでもない。
まだまだ決断は出来ない。

とか、思っていたが…。やっぱりそうだろうよ。
橋を渡ったら、この勾配…。
林鉄車輌(気動車)では到底、登坂などは出来ない勾配だ。軽油やガソリンを使わない人力徒歩の私でも(見落としがないか確認の為、しばらく登坂したのだが)ちょっと歩いただけで両脚のそこらじゅうの筋肉がパンパンになった。
つまりは、ブっブーっ!不正解!

正解は、あちら黒河内林道のようだ。

戻る!

確かに…。
林道に架かる橋を見上げれば、旧橋の
【橋脚】が見えた。

林道との分岐点まで戻り、軌道跡であろう黒河内林道を行く。下に見えるのは先程の偽軌道跡だ。

さっき見上げてた橋。

旧橋の橋脚を覗き込んで撮影(往時は木製の上路トラス橋が架かっていたと思う)

振り返って見れば、この石垣の絶妙な廃れ具合。実に良い感じ…。
こういう、ある意味“ピンポイント”な場所や、または“瞬間”にて、林鉄探索だけではなく“廃探索”の醍醐味を感じるのは、私だけだろうか…。

書籍の地図表記の間違いから始まり、偶然出会えたこの「黒河内森林鉄道」との付き合いは、これからも長く続く事になると思う(加筆修正をしている、現2016年の時点でも、私はまだ全線踏破をしていない…)
謝意。当記事「黒河内森林鉄道」執筆において、私が投げかけた様々な疑問に対してご教示をいただいた
「轍のあった道」の管理人である磯部祥行さま。ご教示ありがとうございます!
とりあえず、おわり。
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- 2011/03/05(土) 01:56:00|
- ●廃線 鉄道 森林鉄道
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