長野県松本市大字新村
訪問日 2009/1/2
【現在地】【大きい地図はこちら】
アルピコ交通(松本電気鉄道)上高地線の「新村駅」
この駅は、長野県松本市JR篠ノ井線「松本駅」
【地図】から、同市「新島々駅」
【地図】を結ぶ「アルピコ交通」が運営する私営鉄道路線の中にある駅のひとつである(本路線の総延長は14.4km)
以下、これは語り出すとキリがないので、かなりザックリと述べるが(沿革概要を知りたければ“Wiki”へ行って検索した方が早いだろうから)「アルピコ交通」とは、我々、地元の長野県民からすると割と新しく、または歳を重ねている方々からすれば、あまり聞き慣れない言葉なり会社名である。
元は「松本電気鉄道株式会社」という(もっと元を辿れば「筑摩電気鉄道株式会社」に突き当たる)鉄道事業会社を祖とし、その後、鉄道以外の交通関係。例えば路線バスや高速バス事業。タクシー事業。更に、スーパーマーケットの運営や、ホテル事業。不動産事業まで手を広げた…、が結果、あれこれ“ややこしい事”になり(バブルの崩壊だとか、あの時に不動産事業に手を付けたのが不味かった…。みたいな話しは、他県他地方でも良くある話しだと思う。昔は地元ローカルテレビ局にて、夕方のニュース番組に必ず入っていたCMの会社(変な音楽や、変な替え歌等々が多い)を、最近観なくなったな…、と「あの地元では有名だった会社企業は今」と調べたら「ああ、そうなのね…」と言う奴。ちなみに私は、この手の話しは地元長野県だけではなく、他県他地方でも大好物である!絶賛情報募集しています!)そういった“負の清算”というか“整理”をした結果生まれたのが「アルピコグループ」なる、長野県では有数どころか、トップに立つ程の巨大グループ企業が生まれたのだが…。
私を含めて地元長野県民の大半は、鉄道だろうがバスだろうが、スーパーマーケットでコロッケを買うにしても、大半が“松電”で話が通るのが実態である(それ故、以下当記事においてはあまり使い慣れていない「アルピコ交通」ではなく「松電」と表記する)

新村駅。
まあ、何ともローカルな雰囲気で良い。
ちなみに、この「松電上高地線」は、結構有名な路線なので、これまた、以下最低限の説明に留めるが、現在の終点である「新島々駅」より更に約1.3km程、上高地側の西へ行った場所に、かつては「(旧)島々駅」
【地図】があり、当然運行も成されていたのだが、昭和58年の台風による土砂災害で同区間は廃止されている(この廃線区間は、並行する国道158号からもチラチラ見えるので、気になった人は脇見運転をせずに、是非とも車を停めてご覧いただきたい)

再び新村駅。“ビカビカッ!”と走る、赤い“稲妻マーク”には、まさにビリッとシビれた!
ところで、この松電上高地線を調べていて分かったのだが、昭和30年までは「島々線」と呼ばれていたこの路線が、計画当初は「松本高山線」として、長野県の上高地どころか、飛騨山脈を貫いて岐阜県の飛騨高山まで通す計画であったのには驚いた。
結局、建設費の問題や免許の失効やらで、その計画は幻に終わったのだが、その夢は今、現在「中部縦貫自動車道」なるもので、未だ夢として叶えられている…
以下、取りあえず、幻に終わった「松本高山線」の未成区間の路線データ。
島々駅~大野田駅~龍島温泉駅~稲核駅~水殿駅~奈川口駅~沢渡駅~上高地口駅~平湯温泉駅~丹生川駅~塩屋町駅~山口町駅~江名子町駅~馬場町駅~飛騨高山駅。
(Wikipedia「松本電気鉄道上高地線」より転載)
ふむ…。無理だと思う…。
まあ、明治や大正の時代、こういう「話しばかりが大きくなって、実際の“実”の部分が全く伴わない大計画」は結構好きなのだがw(ちなみに、この新村駅を含む、現松本電気鉄道の前身である「筑摩電気鉄道株式会社」における当区間開業年は大正10年(1921年)であり、この「新村駅」駅舎はその大正10年開業時の築造である。←何気にスゴイ!)

さて、駅員さんから許可を得て駅構内に入った。
しかし“鉄分”不足の私には、これが何なのか分からない。この“ベルギーワッフル”を作る為の、鉄の型みたいなものは一体何なんだろう…。

こんな車輌も置かれている。

「ED301」電気機関車。

“鉄”な人からすれば「おまえは、一体どこ撮ってるんだよ!」な、何とも素人な写真でごめん…。

実を言うと、最初はこの「新村駅」の駅舎だけを撮影して別物件へ向かおうとしていたのだが、駅員の方が「電車の撮影ですか?」と、声をかけてくれたので「…、ん、まあ、そうです!…」と、答え、やる気半分でこの駅構内に入り、この「ED301」を撮影したのだが、鉄道車輌には疎い私はあれやこれや、それやこれをとは分からない。とりあえず写真を撮った。のだが…、かつては、この新村駅に保存されていて、現在は埼玉県さいたま市の「鉄道博物館」
【地図】
【大きい地図はこちら】
にて、展示保存されている「デ963形電車・デ968」(ハニフ1)なる車輌の解説をしていた案内板が立っていた。

以下、案内看板にある解説内容を転載。
『国鉄で一番古い電車。
国鉄最初の電車「テ九六八」が当駅の車庫に保存されている。この電車は、明治三十七年甲武鉄道株式会社飯田町工場で製造され、飯田町~中野間を走った。明治三十九年甲武鉄道は政府に買収され、車両はそのまま国鉄に移籍されたので、この電車が国鉄最初の電車となった。
大正四年、電気部品を取り外して廃車とし、信濃鉄道株式会社に払い下げられた。信鉄では客車として蒸気機関車に連結され安曇野を走っていた。
大正四年、電気部品を取り外して廃車とし、信濃鉄道株式会社に払い下げられた。信鉄では客車として蒸気機関車に連結され安曇野を走っていた。
大正十一年、松本電鉄(当時は筑摩鉄道)開業時に信鉄より譲り受け、車体の一部を荷物車に改良し、三等荷物緩急車体ハニフ一号となりました。 昭和二十三年、老朽により休車となり第一線を退いた。』
おわり。
(この新村駅の駅舎は2012年(平成24年)3月に廃止されました。が、すぐ隣に新しい“新”新村駅が開業した事により)当旧駅舎自体は地元地域のコミュニティー施設として、現在も健在だと聞いております。2016/9/30 追筆)
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- 2011/02/18(金) 18:56:00|
- ●廃線 鉄道 森林鉄道
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