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木曽 小川(王滝)森林鉄道 鬼淵鉄橋 中編

長野県木曽郡上松町大字上松

訪問日 2008/12/31

【地図】

【大きい地図はこちら】


さて…。も何もあったものか。
目の前のバリケードを“ピー”する!…、のが、いつもの私なのだが、今回はしない。

この「鬼淵鉄橋」の傍らには民家がある。
例え、その民家の主が留守であっても(←留守を狙うのは、もはや“空き巣”業界の話しだろw)何しろ、ここは人通りや人の眼が多い。
まあ、そこで“ピー”をして通報された挙げ句に、前編でも述べたちょうど対岸、鬼淵停車場跡にて待機しているポリスメン&パトカーに連行されても構わないのだが…(←構わないのかよ!)

実を言うと、この林鉄由来「鬼淵鉄橋」は、新橋の「鬼淵橋」が架かった時点で撤去される予定だったのだ。
そんな中「これだけ歴史が深い鉄橋は保存するべきだ!」と、立ち上がった熱い地元民の保存運動(ナイス!地元民!)の結果、この「鬼淵鉄橋」は何とか保存される事になった。のだが…、保存維持をする行政としては「あわよくば撤去したい」というのが本心らしいし、また地元民とて皆が皆が“保存派一色”の一枚岩ではなくて“撤去派”の方々もかなりいて、保存か撤去かで、なかなかの議論紛糾があった、と聞いている。

この「鬼淵鉄橋」は、そういった何とも微妙なバランスの関係で現在に至り、また今後の未来がある。
そんな危ういバランスを保っている天秤に、悪戯に指を突き出すような行動は、ここではするべきではないと、私は思ったのだ。

この橋は、残せるだけ残すべきだ…。


何だか“そんな事情”が分かる…。
正式な保存であるならば、元々は鉄道橋なのだから、車道橋へと転用された際に装備されたガードレールや路盤が撤去されて然りだと思う…。
だいたい“国産最古”を本気で謳うには車道時代の構造物は邪魔過ぎるだろ…。

案内板が設置されている。が、だからと言って、この「鬼淵鉄橋」の余生が磐石のものだとは限らない。

以下、案内板より。

「大正時代になって、日本の鉄橋(トラス橋)は鋼材や製作が全て日本の技術で作ることができるようになりました。木曽森林鉄道の鬼淵鉄橋は現存する国産最古のトラス橋だといわれています。
大正三年、宮内省土木技師三根奇能夫の設計で大阪の横河橋梁製作が作った鬼淵鉄橋は、全長九十三・八メートル。完成から昭和五十年まで森林鉄道の鉄橋として使われてきました。各地で森林鉄道は相次いで廃止されましたが、木曽森林鉄道は日本で最後まで運行され、この鬼淵鉄橋の上でフィナーレが行われました」


案内板での「鬼淵鉄橋を走る森林鉄道ボールドウィン蒸気機関車」の写真。

「横河橋梁製作所」は、明治40年、当時の横河工務所から鉄骨橋梁部門が分離独立した橋梁製作会社であり(現「横河ブリッジホールディングス」)この「鬼淵鉄橋」だけではなく、この時もこの後どころか現在も、日本の各地にて“銘橋”を架けて続けている“橋梁の職人”会社のひとつである。

まあ「横河製橋梁」について、語り始めるとキリがないので割愛するが、私は案内板にある「三根奇能夫」なる人物が気になった。

軽くネット上で検索してみたのだが、分かったのは、現在熊本県の「旧制官立高等学校 第五高等学校」(略称「五高」)の卒業生というだけだ

この「三根奇能夫」なる人物は、当調査室の継続調査対象人物といたします!情報求む!

【後編】へ続く。
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  1. 2010/11/15(月) 01:19:00|
  2. ●廃線 鉄道 森林鉄道
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