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王滝森林鉄道 二号隧道 5

長野県木曽郡木曽町三岳橋渡

訪問日 2009/2/10

【地図】


二号隧道の内部。


向こう側の“出口”が見えている、この「二号隧道」の延長は、目測からして大体30mぐらいだろうか。
隧道内からは、ポッポッチャン…、チャク、チャックン…、と、あちこちから漏水して滴り落ちる滴の“オーケストラ”が奏でる音楽が聴こえる。
この雰囲気、この感じ!(廃限定とは言わない)これだから古い隧道、トンネルはたまらないよな!

と、一応テンションを上げてみだが、実際そこにあり、既に見えてしまっているので仕方がないが、路盤跡の洞床脇には…。

かなり新しめな“側溝”がある…。
これはどう見ても「林鉄王滝線」廃止後に設置されたものだ。
まあ“萎える”と言えば、そりゃ“萎える”のだが、この隧道を「現役の施設」としている“保険”と思えば、そう鼻つまみものとは思わない。

脇には氷茸が生えていた。

ん?…。素堀になるのかよ!って、やっぱりわざとらしいか…。

実は入る前から“中身のあんこ”が見えていた。

入って来た方向へ振り返って撮影。
坑口(私が入洞した王滝村側)から約10m程、コンクリートブロックで巻かれているのだが、中間地点は荒々しい素堀であった。

ところで、今こうして記事を書いていて問題が発生した。
“問題”とは、前編から“しれっと”出始め、今回も出た「コンクリートブロックによる巻き立て」なるものだ。
実を言うと、正直、私は自信をもって「コンクリートブロックによるものだ」とは言及する事が出来ない。
私の拙い知識としては、明治期の隧道築造において主流だった「煉瓦」による巻き立てに変わり、ある意味ほんの一時期だけ、大正時代の中末期から昭和時代の初期にかけて、コンクリートブロックを積む、所謂「コンクリートブロック製の隧道」が、そこそこ築造されたと聞いている。

この「森林鉄道王滝線二号隧道」の竣工年は大正11年だから、何ら矛盾はないのだが、そもそも私が、この隧道の巻き立てについて“コンクリートブロック”なる名を持ち出したのは「石造りにしては、やけにツルっ、としてるな…」と、最初に思っただけの、根拠のない感想なのだ。

巻き立て部分と素堀の境界部分。

「う~ん…。素堀って素晴らしいよな!」などと、大口を開けて撮影していたら、天井からポタリと背中に…、ではなくて、鼻の穴の中に!(これは“盛りネタ”ではなくて、本当の話しです。竣工年が古い隧道、トンネルを歩いていて、頭や肩に滴が落ちた。または、たまたま見上げていたら、顔の頬に“滴がポタリ”は今まで何度かあったけれど、鼻の穴の中へのピンポイントは初めてだった…)
隧道内にて、私が咳き込む声が響き渡ったのは内緒にしておいて欲しい…。

素堀区間も、約10m程度で終わり、再びコンクリートブロックによる巻き立てが始まった。
目測の距離、約30mの隧道延長で、始め(王滝村側)10mが巻き立て。中間の10mが素堀で、残り(木曽町三岳側)の巻き立て区間も10mだ。

少し進んでから、振り返って撮影。
巻き立て→素堀→巻き立ての拵えが良く分かる。

上松側の坑口。

更に進んで、上松側の坑口間近。

【次回】へ続く。
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  1. 2010/10/22(金) 00:35:00|
  2. ●廃線 鉄道 森林鉄道
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