長野県木曽郡木曽町三岳
小島隧道の旧廃道。
訪問日 2009/4/24

「横綱みまき培土」が待ち受けていた。
まあゴミがあると言う事は…。

終わりが見えた。

何だか名残惜しくて振り返る。

更に進むと、ここで何か建造物の基礎部分跡を発見した。
訪問時は何とも思わなかったが、今改めて思うとこの基礎部分跡は信号機、または交通誘導員の詰め所跡かも知れない…。と、言うか、そうであったらのならばいいなと思う。
これは前編でも述べたが、この旧道の現役時は軽車輌は勿論、トラックや下手をすれば御嶽山詣りの観光バスが通っていた可能性が多分にある。
戦前戦中のボンネットトラックやボンネットバスの中には全幅が2000mmを下回る車種(例えば戦前、日本初のバスである「スミダ・M型バス」の全幅は1830mm)があったから通れない事はない(ちなみに戦後のボンネットトラックやボンネットバスの全幅はモータリゼーション前夜祭でグイグイ2000mmを優に越えているから走行は無理だ)
それならば、こちら王滝村側(御嶽山側)と、今回の廃道探検の入口である木曽側の
【小島橋(仮)付近(撮影日2009 1.04)】にそれら施設があっても不思議ではない。と言うか、無ければ困る。
何しろこの道はカーブミラーがあれば大丈夫という範疇ではない(この当廃道区間を歩いた中で、カーブミラーや標識。またはそれらを支える支柱等の痕跡はなかった。無論崩落による消失や、廃道化工事の際に撤去されていればそれまでの事だが、大体そもそも「カーブミラー」がいつ頃から採用されたのか私には分からない)
往時、簡易的な遮断板や笛をくわえた誘導員がちょくちょく「ピィー!」と笛を鳴らして交通整理をしていたのならば、それはとても素敵な風景だと思う。

まあそんなこんなで…。

旧道区間は終わる。

小島隧道を王滝村側からの見た旧道との分岐。
【現在地】昭和32年開通の小島隧道の延長は140mである(写真では木曽側坑口が見えている。つまりはたった今、多少は緊張しながら歩いて来た旧廃道区間の行程は多く見積もってもせいぜい200mそこら…。まあ廃道歩きなんてそんなもんだ…苦笑)
では、この小島隧道の出現で当区間における交通事情の懸念事項は完全に解決したのかと言えば、残念ながらそうとは言えない。

なぜなら小島隧道のスペックは幅員5m。限界高4.8mだ
「日本の廃道」の
「隧道データベース」より)

正直、今の観光バス等大型車の通行には隧道の寸法が足りていない。
事実、現在もここでは御嶽山詣り、上り下りの観光バスが小島隧道の坑口手前で互いに停車して譲り合う光景を私は何度も目撃しているし、普通車同士のすれ違いでも隧道内の歩行者の有無確認で速度を緩めるなり、多少は気を使う場所である。
それでは現在の小島隧道は無駄な時代遅れの、言わば老体を通り越した死に損ないなのか?と問われたら私は即時こう答える。
「旧道走ってみる?」
下の写真は王滝川を挟んだ対岸から当旧廃道区間を撮影したもの。

(写真真の右側に見える白いガードレールから、そのままこの山を巻いて左に通るのが当旧廃道。小島隧道はこの山を貫通している)
利用者の絶対的な“安全”を手に入れた小島隧道は、長野県道20号開田三岳福島線における現役の要衝であるのは間違いない。
おわり。
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- 2010/09/19(日) 02:43:00|
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