廃道・廃線・廃隧道・あらゆる交通遺跡を調査‐こちら交通遺跡調査室(分室・携帯版)

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旅路で見たもの 前編。

当記事には写真はありません。

正直なところ、当ブログにて一体どのジャンルに区別をしてこの記事を書けば良いのか迷ったのだが…。まあ良い。一応“交通”についての事なのだから、ちょいとどころか結構語り散らす。

ここで突然の私の趣味趣向の告白で申し訳ないのだが、私はたまのある日に「何ら目的地を決めずに東西南北の一方向へ車を走らせる」のが好きだ。と、告白すれば、さぞ北は北海道、南は九州みたいなスケールの大きさを感じる方がいるだろうし、実際にそれだけのスケールを走る“旅好き。旅のプロ”な方々も存じている。が…、私の“あてのない旅”の東西南北のスケールは、私自身が住んでいる町の中か、せいぜい隣町の隣町(×6)程度で、まあまあ大体が長野県内で完結する“ミニ旅ドライブ”である(逆に言えば長野県はそれだけ広い)

そんな私ながらも、大それた、と言うべきか「長野県の外へ行ってみたい!海をみたい!」と、突然思い、今から7年前の2009年10月に、まずは自宅から北の方向へ向かったドン詰まり。新潟県まで行き日本海を見た。長野県では口にする事が出来ない海の幸(天丼)も食べた。大変おいしゅうございました…。

「いや~。やっぱり日本は広いし、旅は楽しいし、海はいいなぁ!何しろ海の幸は美味い!」

であった。
まあ、そりゃそうだ。
そこでそれ(長旅の楽しさ)に味をしめた私は、その二週間後には自宅から南方向。静岡県へ行き、ドン詰まりの太平洋の海を見た(残念ながら“海の幸”にはありつけず、深夜現地での食事は「すき家」であったが、お腹が空いている時にものを食べられるだけでも有り難い。それも旅の醍醐味だ)
そしてこれまた当然楽しい旅であり、旧東海道の国道1号を走り、山梨県へ向かう国道52号に入ってからは、道路脇の駐車スペースにて車中泊をした。
翌日の早朝には現地にある某廃隧道を見てから、再び国道52号を北上し、国道300号を経て、富士山をマジマジと見た。
そして再び国道300号から国道52号へ戻り、北上して(少なくとも私には馴染み深い)国道20号甲州街道を走り、最後には国道153号を南下して自宅へと帰宅した(←この、自分が知っている道路番号の矢印を示す青看板を見た時に、心の中で「自分は自分の居場所へ向かっている。帰っているんだな…」という“変な安心感”湧き上がるのは私だけはないと思う)のが、この長旅の大体の行程だ。
まあとにかく、何とも素敵“最高な旅”ドライブだったのだが…。“あれ”を見たのは、この旅だった。
皆様にもあるのではなかろうか?
先程述べた“最高な旅”なる、そんな100点満点の旅なんてものはないと言う事を。旅には様々なトラブルが付き物だ。
そのトラブルの種類については大小様々であるから敢えて列挙はしないが、私が出会ったトラブルとは物理的なものではなく精神的なものだ。

「……」

「……、…」

「…、うわぁ…」

と“見たくはなかった”ものを見た…。

山梨県にて国道52号から国道20号へ入り、いざ、我が家がある長野県を目指した、のは先にも述べた。
実際のところ、案外、と言うのが正直な感想なのだが(これまでの旅路の過程の長さからすれば当然かも知れない)国道20号に入ってからは、あっという間に県境を越えて(私的には県境を示す『長野県』の表示看板を見た時は“越えた”のではなくて“戻った”と感じた)まあとにかく、長野県に戻った。入った…。の、だが…。
そう、国道20号にて山梨県と長野県の県境に位置する、山梨県北杜市小淵沢町を走り抜け、隣接する長野県富士見町から同県茅野市に入ってから。
言わばこの長旅の終盤戦、別の言葉で言えば、長旅の“仕上げ”の段階である。
国道20号を走っていて、私の心の中で、所謂“三点リーダー”「…」が始まった。そしてそれが過ぎるとすぐまた「…」があり、また「……」の連続だ。
さて、一体この「…」は何なのか。

国道20号沿いの街並み、というか家々が、どれもこれも、右を見ても左を見ても、かつては立派であったであろう“古い空き家”ばかりなのだ。
しかもその中には昔の商店の跡や、大きな三角屋根が真っ赤に錆びているドライブイン“跡”が、あるわ、あるわのオンパレード…。

思わず私は車のハンドルを握りながら。

「うわぁ…」

と、声をもらした。

当記事をお読み方々の中には「いやいや。それが“地方”の現状でしょ。“過疎”って奴でしょ。それくらい知っているよ」と思われる方も結構数いると思うし、確かにその通り、これは過疎。過疎化の現状なのだが、それでただ単に「過疎。過疎化だったんだよ!」で済ますのならば、私はわざわざ当ブログでは取り上げない。

冒頭にてチラリと述べたが、当ブログの表看板は「交通(道)」である。
「過疎」または「過疎化」や「過疎地」等々は、よく使われる言葉だが、そうなるには理由がある(筈だ)

よく聞く理由は「高齢化」だが、私はその分野については全く知らないし、正直今のところ探求心も持ち合わせていない。
しかし、過疎化の理由について“交通”もかなり関わっているのは多少は知っていたつもりだったのだが…。

【後編】に続く。
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  1. 2016/10/20(木) 20:00:00|
  2. ●交通遺跡調査室分室
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