先日。馴染みのコンビニお菓子コーナー、新商品の商品棚にてずらりと並べられた、やけにパッケージ(写真)の色が赤っぽく「辛子明太子味」という文字が目立つお菓子を見かけた。
私はポテトチップが大好きである。
大体の主要菓子メーカー(「カルビー」「湖池屋」や、割と最近に色々とあった「ヤマザキビスケット」や「ハウス食品」等々。いけなければ「山芳製菓」とか)のポテトチップは、定番は勿論季節期間限定問わず食べている)当然、購入した。
自宅へ帰宅後、すぐさまその新商品「ポテトチップ 辛子明太子味」を食べようと(ワクワクしながら)袋を開けたところ、それは「歌舞伎揚げ 辛子明太子味」だった…(余りにも衝撃が強すぎて、その「歌舞伎揚げ 辛子明太子味」を作った菓子メーカーを確認するのも忘れたぐらいだ…)
勿論、私は「歌舞伎揚げ」を含む米菓子も大好きなのだが(メーカー名は省くが各社の「醤油煎餅」や「柿の種」は好きだし、この「歌舞伎揚げ 辛子明太子味」自体も決して不味くはなかったのだが…)もはや好き嫌い。美味い不味いの問題ではない。
この時
裏切られた気分。
なるものを、正直、一瞬でも思ってしまった。が…「いやいや、ちょっと待て」とも思い、何とか立ち止まる事も出来た。
大体そもそもが、裏切られたも何も、そのお菓子が「ポテトチップ」なのか「歌舞伎揚げ」なのかを確認するのを忘れたのが原因であり、その原因を作り出したのは他の誰でもない私自身ではないか。
自称(というか、特に「食品関係」にて何かにつけて声高らかに)“私は消費者だ!”と宣う人がたまにいるが、その大体が言うのが「裏切られた気分」だの「失望した」だの等々…(おまけで言えば「二度と買わない!」)
こういった“軽口”は、自分の中で留めつつも、少なくとも他人様へは安易に吐くべきものではないな…、と思った。
“思い込み”なるものは、色々な意味で“魔物”なのだと思う。
おわり。
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- 2016/10/31(月) 20:31:00|
- ●ボソッ
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どうにもならない地方の現実。
山梨県と長野県の県境、国道20号沿いで見た数々の空き家、空き店舗跡、ドライブイン跡…。
あれは典型的な「ストロー現象(効果)」の結果。いやいや、素直に言葉を濁す事なく正直に述べるのならば“惨状”だった…。
ストロー現象?何だそれ?
これは本州と四国を結んでいる「瀬戸大橋」が開通する(ちなみに瀬戸大橋の開通は昭和63年(1988年)4月10日)」よりもずっと前の計画段階にて、当時の四国通産局総務部長の小野五郎氏が発した言葉なのだが、まず簡単に言うと、それまでの主要交通路に代わる新たな交通路(高速道路や新幹線等々が最たるものだ)が開通する事により、その新旧交通路に関連する都市や地域が衰退化したり繁栄化する現象や効果を表している(ちなみに、只今当記事にて取り上げている当該地での“それまでの主要交通路”とは「国道20号旧甲州街道」であり、また“新しい主要交通路”とは「中央高速道路」があてはまる)
「ストロー現象(効果)」について詳しい事を知りたい方は
【こちらへ】この「ストロー現象」は地方ではそう物珍しいものではない。私が住む地元でも、それまで街のド真ん中を通っていた主要交通路(国道)が、街の外苑を廻るバイパス化された事で“旧道化”した事で、交通量(人通り)が激減した結果、それまで国道通り沿いに並んでいた各商店が集客を見込めなくなって、一気に店を閉めて商店等が空き家だらけになってしまったのを間近で見ているし、長野県内その他の地域でも、同じような現象は散々見て来た。
いまいち「ストロー現象」についてピンと来ない方に平たく(しつこく)説明をすると、A都市(地域)とZ都市(地域)を結ぶ交通路があるとする(当然、その間にはB~Yの各都市地域が存在し、つまりは経由地点であった)
例えばトラックドライバーだ。
そろそろ昼飯時だな…、と、各経由地にてドライブインへ寄っていた。観光客だってそうだ。
ファミリードライバーのパパだったら子供がぐずるからジュースでも買うか。せっかくだからついでにお土産でも買うか…。
等々の大小問わず様々な経済活動が行われていた(もっと分かりやすい言葉で表現するならば「皆が各地域にてお金を落としていた」)所に、A~Z間を直接結ぶ新しい交通路(例えば高速道路)が開通すれば、さてトラックドライバーや観光客、ファミリードライバーのパパさんたちは、旧交通路or新交通路のどちらを選ぶのだろうか?と、問われれば、それは後者の新交通路になるだろう。何しろ便利だから(出発地がAでも目的地がZとは限らない。目的地がDなりXかも知れないが、どちらにせよその間にある経由地。地域はスっ飛ばされるし、つまりは誰も寄らなくなる)
そうともなれば、元々資本力がある商店(県内または全国店規模の企業等)は、さっさと店を閉めて、もっと集客力が見込める地域や、それこそ新交通路沿いへ移転するし(それまで大きな通り沿いにて当たり前のように営業していた大きい店。スーパーやホームセンターやコンビニが、ある日突然閉店するのはそのシグナルの一つであり、しばらくすると、ちゃっかり新主要交通路のバイパス沿いに移転している事が多々ある)逆に資本力がない個人規模の商店では「もうこれではどうにもならん…。店を閉めようか…」と、あちこちでの溜め息の繰り返しの結果、その地域の(県や市町村。またはその地区等々“スケール”は様々だが)の経済活動が低下して、最後には(無論、その“最後”に至るまでには相当な段階や各事情があるのだが、語り出すと切りがないのでやめておく)
「何だか昔と違って住みにくい不便な地域になっちゃったね…」
となって、人口が減って衰退化する。
例示したこれはあくまでも一例なのだが、これが「ストロー現象」であり、またそれが「過疎化」の一因であり、そしてこれが“地方の現実”でもある…。
この現象そのものについては、私なりに注視注目をしていたのだが、この長旅にて、長野県富士見町から同県茅野市に入ってから目の当たりにしたそれは、あまりにも大規模かつ長区間であり、はっきり言えば、あそこまで“酷い惨状”は、正直初めて見た(ちなみに、この現象自体に「ストロー現象・効果」と言う“名前”があるのを知ったのは割と最近の事だ)
私が車のハンドルを握りながら、思わず吐露した。
「うわぁ…」
とは、それなのだ。トラウマとまでは言わないが、正直ドン引きだった。
前回にて述べたが、長野県→静岡県→山梨県(車中泊)→長野県の長旅の終盤戦でこれ…。仕上げも仕上げの段階で“冷や水ビシャッ!”であった…。
まあ私自身、何とも楽しい長旅の終盤戦に入った事で、どこか心が浮かれていたのだろうが、それにしても…、である。
いやはや何とも…。旅路には何が待ち構えているのかは分からないから怖いし、またそれがあるから旅は楽しいのだと思う…。
おわり。
「って、おい!ちょっと!そういう締め括りで終わりなのかよ!」
と、思われる方々もいるだろう…、が、この問題については、もはや私程度がこれ以上あれこれ誰かに問うて語った所で、何かしらが解決する訳ではないと思っているし、自覚もしている。
冒頭に冠した「どうにもならない地方の現実」とは、この事だ(ただ注意したいのは「どうにもならない事」と「どうでもいい事」は違う)
唯一、私が言える事は(あくまでも私個人の私見なのだが)この「ストロー現象」なるもの自体は、何も土木技術が成熟していた昭和の末期に開通した「瀬戸大橋」がどうのこうの云々以前。
大正、明治どころか、それはそれは長く続いた江戸藩政期より前からもあったであろう「新道開鑿」によって、峠の茶屋の廃止やら地域、村そのものが消えた。そしてまたは新しく出来た。を何百年もの間でも、ずっと繰り返して来た事だと思う。
“現在”の国道20号沿い(甲州街道)で私が見た風景は“歴史”からすればほんの一瞬の断片の欠片にも過ぎないのだろう。
おわ…。ん?待て待て…。何だか似たような事を書いたような気がするな…。
【関連記事】これで本当におわりです。
- 2016/10/20(木) 20:10:50|
- ●交通遺跡調査室分室
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当記事には写真はありません。
正直なところ、当ブログにて一体どのジャンルに区別をしてこの記事を書けば良いのか迷ったのだが…。まあ良い。一応“交通”についての事なのだから、ちょいとどころか結構語り散らす。
ここで突然の私の趣味趣向の告白で申し訳ないのだが、私はたまのある日に「何ら目的地を決めずに東西南北の一方向へ車を走らせる」のが好きだ。と、告白すれば、さぞ北は北海道、南は九州みたいなスケールの大きさを感じる方がいるだろうし、実際にそれだけのスケールを走る“旅好き。旅のプロ”な方々も存じている。が…、私の“あてのない旅”の東西南北のスケールは、私自身が住んでいる町の中か、せいぜい隣町の隣町(×6)程度で、まあまあ大体が長野県内で完結する“ミニ旅ドライブ”である(逆に言えば長野県はそれだけ広い)
そんな私ながらも、大それた、と言うべきか「長野県の外へ行ってみたい!海をみたい!」と、突然思い、今から7年前の2009年10月に、まずは自宅から北の方向へ向かったドン詰まり。新潟県まで行き日本海を見た。長野県では口にする事が出来ない海の幸(天丼)も食べた。大変おいしゅうございました…。
「いや~。やっぱり日本は広いし、旅は楽しいし、海はいいなぁ!何しろ海の幸は美味い!」
であった。
まあ、そりゃそうだ。
そこでそれ(長旅の楽しさ)に味をしめた私は、その二週間後には自宅から南方向。静岡県へ行き、ドン詰まりの太平洋の海を見た(残念ながら“海の幸”にはありつけず、深夜現地での食事は「すき家」であったが、お腹が空いている時にものを食べられるだけでも有り難い。それも旅の醍醐味だ)
そしてこれまた当然楽しい旅であり、旧東海道の国道1号を走り、山梨県へ向かう国道52号に入ってからは、道路脇の駐車スペースにて車中泊をした。
翌日の早朝には現地にある某廃隧道を見てから、再び国道52号を北上し、国道300号を経て、富士山をマジマジと見た。
そして再び国道300号から国道52号へ戻り、北上して(少なくとも私には馴染み深い)国道20号甲州街道を走り、最後には国道153号を南下して自宅へと帰宅した(←この、自分が知っている道路番号の矢印を示す青看板を見た時に、心の中で「自分は自分の居場所へ向かっている。帰っているんだな…」という“変な安心感”湧き上がるのは私だけはないと思う)のが、この長旅の大体の行程だ。
まあとにかく、何とも素敵“最高な旅”ドライブだったのだが…。“あれ”を見たのは、この旅だった。
皆様にもあるのではなかろうか?
先程述べた“最高な旅”なる、そんな100点満点の旅なんてものはないと言う事を。旅には様々なトラブルが付き物だ。
そのトラブルの種類については大小様々であるから敢えて列挙はしないが、私が出会ったトラブルとは物理的なものではなく精神的なものだ。
「……」
「……、…」
「…、うわぁ…」
と“見たくはなかった”ものを見た…。
山梨県にて国道52号から国道20号へ入り、いざ、我が家がある長野県を目指した、のは先にも述べた。
実際のところ、案外、と言うのが正直な感想なのだが(これまでの旅路の過程の長さからすれば当然かも知れない)国道20号に入ってからは、あっという間に県境を越えて(私的には県境を示す『長野県』の表示看板を見た時は“越えた”のではなくて“戻った”と感じた)まあとにかく、長野県に戻った。入った…。の、だが…。
そう、国道20号にて山梨県と長野県の県境に位置する、山梨県北杜市小淵沢町を走り抜け、隣接する長野県富士見町から同県茅野市に入ってから。
言わばこの長旅の終盤戦、別の言葉で言えば、長旅の“仕上げ”の段階である。
国道20号を走っていて、私の心の中で、所謂“三点リーダー”「…」が始まった。そしてそれが過ぎるとすぐまた「…」があり、また「……」の連続だ。
さて、一体この「…」は何なのか。
国道20号沿いの街並み、というか家々が、どれもこれも、右を見ても左を見ても、かつては立派であったであろう“古い空き家”ばかりなのだ。
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- 2016/10/20(木) 20:00:00|
- ●交通遺跡調査室分室
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客商売をしている(正確には、かつてはしていたし、この先もするかも知れない)と思うのが、悪質なクレーマー(モンスターカスタマー)と、UFO特集番組で「私は宇宙人に誘拐された!」と主張する人間は、その発生出現率や発言方法、手段(やり口)が似ていると思うのだが…。
おわり。
- 2016/10/01(土) 19:26:00|
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