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廃道・廃線・廃隧道・あらゆる交通遺跡を調査‐こちら交通遺跡調査室(分室・携帯版)

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牧尾ダム 中山トンネル

長野県木曽郡木曽町三岳

訪問日 2009/6/2

【地図】

【大きい地図はこちら】

いきなりだが、タイトルの「牧尾ダムの中山トンネル」と聞いて、皆様方はどんなトンネルを想像するのであろうか?

「ダムの建設に伴い造られた、作業用の道路トンネルで、今は県道なり村道なりに使われているトンネルでしょ?」または「牧尾ダムの建設で、今では水没してしまって、たまにダムの水位変化で顔を出す森林鉄道旧線跡のトンネルでしょ?」

違うのだ…(ちなみに前記のそれを想像した方がいたらのならば(特に後者の方は)正直、あなたの舌は肥え過ぎていますw)

そこそこ勘の良い人ならば、下の写真を見ただけで、そのトンネルが何なのかお分かりになると思う。

長野県道256号御岳王滝黒沢線上にある六段橋から撮影した「牧尾ダム」

王滝川をせき止める、この“中心遮水ゾーン形ロックフィルダム形式”の「牧尾ダム」は「愛知用水」の水源として昭和36年に完成した(ラジアルゲート4門を備え、堤高105m。堤頂長264m。有効貯水量6.800万m3。名古屋ドーム40杯分!を誇っている)

(参考:【水資源機構 愛知用水総合管理所】

ん?長野県道256号線…?六段橋…?
「はて、どこかで聞いた事があるな…」と、心の片隅にでもお覚えの方。ありがとうございます。そして「そんなもん聞いた事ねえよ」と言う方。【こちら】へどうぞ。

今回は六段橋を渡り、王滝川左岸(最初の写真で言うと右側)から、牧尾ダムのダムサイトへと向かう。

右に廃隧道となった、かつての県道【花房隧道】へ逝く旧道跡をチラ見しながら進むとすぐに。

ダムサイトの入り口が有る。
サセ~ツ!



ダム管理棟前の駐車場に車を停めて、いざっ!

いや、待て待て(振り返って撮影)
ちょっとだけ言いたい事がある。
上の写真右側がダム管理棟で、左側には広大な、とまでは言わなくとも、なかなかな公園スペースがある。
たまたまこの日は私だけだったが、休日にはそこそこの家族連れが居て、皆でお弁当を広げていたり、または若いパパと、ちっちゃい息子君とがキャッチボールをしていたりと、何とも微笑ましい風景が良く見られる。
で、ここで重要なのが“そこそこな賑わい”なわけで、休日に誰もいない公園などは廃公園と等しく、近寄りたくもないし、かと言って、吐き気がするぐらいの混雑や賑わい、ごった返しなどは県内外に幾らでもある有名観光スポットに任せれば良い。
この牧尾ダムのように、地元民だけが知る。またはそれを見つけた“目利き”な県外の観光客が、ゆっくりと時間を過ごせるこの牧尾ダムは、地域密着型の真骨頂だと思うし、そしてそんな牧尾ダムの公園を私は愛して止まない。

しかもだ。

ここには無人の「野菜直売所(箱)」があり、その中には新鮮な野菜や、たまにシワシワに干からびた野菜が入っていたり(私は新鮮な獅子唐やミョウガを買って食べた事がある。当然ながらとても美味かった)

または、ここから少しここから離れて県道側に行けば、秋頃には猿の群が狂ったように(てか狂っている!)木をグラングラン揺らして叫び無数の猿軍団!たまに熊蜂に追われる!といった、様々なアトラクションが用意されている。

話が逸れた。逸れ過ぎた…。


もう見えているのだが…。

横(下流側)を見れば高っ!やっぱり堤高105mは伊達半端じゃないな…。

てか、真下を見ればやっぱり高っ!
この足下鉄格子より10m程下には、青い湖面がゆらゆらと波打っている。
高い所が苦手な私には、これだけでも充分怖い…。が、この鉄製の蓋掛けが抜ける可能性はほぼゼロだ。
と、言う訳で、試しにこの上でマサイ族のようにジャンプを数回繰り返してみたのだが、ちっとも楽しくなかった。

おっ。
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  1. 2011/05/11(水) 05:00:00|
  2. ●隧道(トンネル)
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野尻森林鉄道 野尻向鉄橋(木曽川橋梁)

長野県木曽郡大桑村大字野尻

訪問日 2009/1/31

【地図】

【大きい地図はこちら】

総称「木曽森林鉄道」と呼ばれる木曽谷の林鉄網の中のひとつに「野尻森林鉄道」がある。
旧国鉄中央西線、野尻駅を起点として、そこからあらゆる幽谷へと網を広げていた。
当路線の開通年は大正12年で、廃止は昭和40年ぐらいの頃だとされる(未確認)

また、当路線については、まこと有り難く、尊敬するべき「木曽林鉄攻撃隊(先人たち)」のレポがいくつもあって、私もネットで見て知った瞬間から「この鉄橋だけは絶対に見てみたい!」と、ずっと思い、そしてついに2009年の1月31日。本懐を遂げる事が出来た。

写真右側に(かろうじて)見える村道を外れて、この実に味のある農道へ入る。カーブの具合からして廃線跡の香ばしい匂いが漂う。

ちなみに、この写真を撮っている私の背後方向が、野尻林鉄の起点である野尻駅方面だ。更に進む…。

“何か”がある…、と言うよりも“あいつ”が待ち受けている!
散々、直接、我が眼で見たかった“あいつ”が!

ぐぅ!
脇へ廻る…。

でたーーっ!うっきょーー!

で、さっき最初に突き当たったこれ。

この橋台の裏側だったのだ。

この最高の“お立ち台”によじ登りたい気持ちも正直あったのだが、それはやめておいた。
理由としては、大体からして「橋台の裏側なるものが露出している姿」は、本来有り得ない状態であり、それを無理矢理よじ登ったが結果、積まれた橋台部分の石や、未だに残る(本橋架設当時は従事者が一所懸命に、突き堅めたであろう)土を削り落とす行為は、私としてはやりたくなかった。

尚、上の写真の通り、橋台の下は「そのまま木曽川へ逝っちゃいな!」的な“無慈悲”な仕様ではなくて、きちんと通れる(潜れる)事が出来る…、が、それはそれとして…。

今まで歩いて来た農道は、かつてはもっと高い築堤が続いていた筈なのだが、つまりは、橋梁における肝心要の橋台部分の裏側が露出していると言う事は、そこへ行く築堤は削られてしまったという事になる。

一径間目。ごっついワーレントラス。その向こう(木曽川下流)には、車道橋の「野尻向橋」が見える(後で出る当橋の「遠景写真」は、この車道橋から撮影した)

さて【歴史的鋼橋集覧】を参考にしながら、この鉄橋のスペックを紐解いて行きたい。

木曽川を跨ぐこの鉄橋は、大正10年に「日本橋梁株式会社」による製作拵えで、正式名は当記事のタイトルにもある「木曽川橋梁」だ。

と、ここで調べていて分かったのだが「日本橋梁株式会社」の創立は大正8年(1919年)である。
と、なると、この「日本橋梁」よりも“一足”早く、明治40年(1907年)に創業創立した橋梁会社の名門である「横河橋梁製作所」(現「横河ブリッジホールディングス」)を差し置いて…、というか、そもそも、いつの時代においても“12年”なる年月は“一足”どころでは済まないと私は思う…(特に“その時代”における“最先端技術が必要とされる事業”においては、それが顕著ではなかろうか。例えば、昔は鉄橋の架設。現在ではIT技術とその開発だとか)

そんな中「日本橋梁」は、これだけの規模の橋梁の製作を任されたのだから、当時の「日本橋梁」社内における、この「木曽川橋梁」製作に対する意気込みは、かなりのものであっただろうと思うし、またそれを想像するのも難しくはない。
まあ、あの時代に(言い出せば今現在でも“それ関係”でニュースになる事が多々あるのだが…)「厳格なる競争入札制度」があったのかどうかは知らない。が、少なくとも架設どころか廃止を経てから半世紀。いわば“放置状態”でありながらも、この「木曽川橋梁」がこうして現に建ち続けている事実からして、当時の「日本橋梁」が“良い仕事”をしたのは間違いないと言えるだろう。

(以下追記)
尚、ついでに言えば「日本橋梁」「横河橋梁」と来れば。もう一つの橋梁製作会社の名前を頭に思い浮かべる方もおられると思う。
「横河」「日本橋梁」と来れば、橋梁“三羽烏”のもう一つ。しかも何故だか、その会社が製作した橋梁は、見た目格好だけで「この橋の造りは“さくらだ”だな…」と分かってしまう(※私個人の感想です)橋梁製作会社「櫻田機械工業株式会社」(大正9年創立。最終時は「株式会社サクラダ」)が、近年どころか、昨日か一昨日とも思える、2012年(平成24年)にて、破産していたのには驚いた。
(2016/8/16 加筆)


こちら木曽川左岸側から順番に橋の構造を見てみよう。

と、言う訳で、先程述べた車道橋の「野尻向橋」から撮影した遠景写真を用意した。

木曽川左岸(遠景写真での右側)から順に、上路ワーレントラス(長さ24.4m)次に大迫力の、下路曲弦プラットトラス(長さ61.0m)次に、上路プレートガーダー(長さ15.9m)そしてまた、上路プレートガーダー(長さ15.2m)で、最後も上路プレートガーダー(長さ15.2m)の、計五径間、全長134.6mの長さで対岸の木曽川右岸側へ渡っている。

再び遠景写真。
当橋を渡った木曽川右岸側(写真の左側)には「野尻向停車場」があり、そこを起点にして「殿線」が、写真の奥方向(木曽川右岸上流方向)に分岐していた。
また本線「野尻森林鉄道」は、写真手前方向へと行く。 続きを読む
  1. 2011/05/02(月) 04:00:00|
  2. ●廃線 鉄道 森林鉄道
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