廃道・廃線・廃隧道・あらゆる交通遺跡を調査‐こちら交通遺跡調査室(分室・携帯版)

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国道20号 塩尻峠 後編

長野県岡谷市今井

訪問日 2009/9/27

幻影灯の残像。


私が4、5歳であった頃の話しだ(前編にて述べた「塩嶺会館」の入館料云々よりも数年前の話し)

当時、今は亡き我が父が料理人として「展望台レストラン」に勤めていた。

そんなある日、父が私を車に乗せて、この峠へと向かった。

峠は大勢の観光客で賑わっていた。
国道(この旧廃道)の両脇は、路上駐車をしている車が数珠繋ぎで停まっていた。
【公園駐車場】付近は、車がビッシリ、ギチギチ駐車状態で停められる隙間もない。

「停めらんねえなぁ…」

父は“隙間”を探すべく、あちらこちらへと車を走らせた。

「ここも停めらんねえなぁ…。あそこも駄目だろうなぁ…」

あっちこっち、その度に車のハンドルをグルグル回していた。

結局、この国道(旧廃道)の両脇にて路上駐車をしている車の群れの隙間を見つけ、そこへ車を停めた。

当たり前のように話しているが、そんな事は現在は勿論、当時でも許されるものではない。交通量が多い、天下の国道の峠のピーク。ましてや見通しが悪い線形のカーブの両脇が、路上駐車をしている車で数珠繋ぎ状態!など、もはや“異常事態”である。当然だが、確たる「道路交通法規」は、あの頃(昭和50年代前半)でも間違いなくあった。の、だが、当時、それを実際に取り締まる者もいなければ、たしなめる者もいなかった。むしろ、それを歓迎していた節さえもある。つまりは所謂、良くも悪くも「そういう時代」だったのだ…。

車を降りると、即座に「ワイワイ!ガヤガヤ!」という表現がピッタリと合う喧騒に囲まれた。
「塩嶺会館」の辺りには、焼き甘栗や、焼きモロコシ、焼きイカの等々の出店が並び、またその出店に並ぶ観光客らは、まるで一粒の砂糖に群がる蟻子たちのようであった…。

一体どこから来た観光客なのか。地元の人なのか、それとも他県から来た人なのかは分からない。分かりようがない。

若いカップルやら、家族連れやらと様々だったが、私自身が生まれて初めて経験したのは「人とすれ違う事がこんなに難しい事なのか!」という“人混み雑踏の混雑”だった。

私は、はぐれないように必死に父の後を歩いた。
ふと、私の目の前を、自分と同じぐらいの年頃の子供を肩車しながら歩く、どこかしらのお父さんが横切った。

私は父に肩車をされた事がない。
とても羨ましく見えた…。が、父に肩車をせがむどころではない混雑だ。
とにかく前を歩く父の後を早足で追った。
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  1. 2010/10/30(土) 02:10:58|
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国道20号 塩尻峠 前編

長野県岡谷市今井

訪問日 2009/9/27

思い出の峠

【地図】


【大きい地図はこちら】



長野県岡谷市と隣接する塩尻市の境にある、中央分水嶺、塩尻峠。

塩嶺(えんれい)峠とも呼ばれる、この峠は、諏訪盆地と松本盆地を結ぶ、かの「中仙道」由来の有名な峠である。
また、その旧街道中仙道に対応する、現在の国道20号も、同峠を経由している為、そう“道路マニア”でなくとも「塩尻峠」の名前を出せば「ああ…。あそこね」程度のリアクションが返ってくる。

今回、その塩尻峠を取り挙げるのだが、中仙道云々が、とか、この塩尻峠が原因で、国鉄中央線の大八廻りが云々、塩尻峠に至る、国道20号の岡谷市側は、勾配を押さえる為に、旧中仙道の3倍の延長をもって、明治19年に建設だよ!さらに、大野誠県令や「長野県明治七道開鑿事業」がね!、とかは語らない(←結構語っているよ…)

これは3歳から20歳まで、岡谷市に住んでいた、私の単なる私情、思い出話しだ。

塩尻峠一帯は「塩嶺御野立公園」となっている。

明治13年。明治天皇巡幸のおり、ここで休憩(野立ち、野立て)をされた記念として、この公園が整備された。
写真のここは、国道20号塩尻峠のピークであり、また御野立公園に入る玄関口である。
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  1. 2010/10/29(金) 02:21:00|
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王滝森林鉄道 二号隧道最終回

長野県木曽郡木曽町三岳橋渡

訪問日 2009/2/10

【現在地】


私の背後には、林鉄王滝線跡を踏襲する「林道台ヶ峰線」へと続く、路盤跡があるのだが…、藪々しいのと、民家の裏へと、かなり近接するので(私有地では無いとは思うが…)ここはおとなしく撤収する。

ちょっとうろつく(落石防護柵。林鉄時代から、ここは落石の難所だったのだろう)
更にうろつく…。

この「王滝線」を含む「木曽林鉄」では、よくありがちな“退避抗”みたいな造りの石垣造りは何なんだ?(仮にこれが“退避抗”だとして、往時「車輌が来たら、そこへ退避せよ!」と言われても、正直困った挙げ句に車輌に弾かれると思うのだが…)

撤収するわ!

ほえ?

来る時には気が付かなかったが洞内には「DyDoアメリカンコーヒー」の空き缶が…。
空き缶底面の製造年月日を見たが、正確な日付は忘れてしまった。確か2001年ぐらいでそう古いものではなかった。

戻る!


石碑。
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  1. 2010/10/25(月) 02:56:00|
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王滝森林鉄道 二号隧道6

長野県木曽郡木曽町三岳橋渡

訪問日 2009/2/10

【現在地】


上松側の坑口へ…。と、このまま二号隧道から出てしまう前に、隧道内部を、もう少しだけ見ておこう。

天井が真っ黒…。

私は、旧国鉄の電化以前に使われた廃隧道にも入った事があるのだが、この「二号隧道」の天井の汚れ具合は、それと似ている。
やはり、煙突からモクモクと煙を吐き出して走行する(ボールドウィン)機関車が通った証しなのだろうか。

上松側の抗門。

前回、1月19日に県道から見上げて撮影した【ここ】は、隧道抗門に続いて延伸築造された「ロックシェッド」だった(県道から見上げてみた場合、隧道なのか何だか、とにかく“怪しい”とだけしか判断が付かなかったのは、この隧道坑口を隠すように立つ“ロックシェッド”のせいだった)
ところで、このロックシェッドは、コンクリートの色合いからして、本体である“二号隧道”が掘られた後も良い事、だいぶ後々の時代に付け足されたものだと私は推察する。
では、いつ付け足された(築造された)のか?
正直特定は出来ないが、小さな根拠としては、例の煤煙による汚れが一切ない事からして、ボールドウィン機関車が引退したとされる、昭和35年以降に作られたと思う。 続きを読む
  1. 2010/10/23(土) 00:32:44|
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王滝森林鉄道 二号隧道5

長野県木曽郡木曽町三岳橋渡

訪問日 2009/2/10

【地図】


二号隧道の内部。


向こう側の“出口”が見えている、この「二号隧道」の延長は、目測からして大体30mぐらいだろうか。
隧道内からは、ポッポッチャン…、チャク、チャックン…、と、あちこちから漏水して滴り落ちる滴の“オーケストラ”が奏でる音楽が聴こえる。
この雰囲気、この感じ!(廃限定とは言わない)これだから古い隧道、トンネルはたまらないよな!

と、一応テンションを上げてみだが、実際そこにあり、既に見えてしまっているので仕方がないが、路盤跡の洞床脇には…。

かなり新しめな“側溝”がある…。
これはどう見ても「林鉄王滝線」廃止後に設置されたものだ。
まあ“萎える”と言えば、そりゃ“萎える”のだが、この隧道を「現役の施設」としている“保険”と思えば、そう鼻つまみものとは思わない。

脇には氷茸が生えていた。

ん?…。素堀になるのかよ!って、やっぱりわざとらしいか…。

実は入る前から“中身のあんこ”が見えていた。

入って来た方向へ振り返って撮影。 続きを読む
  1. 2010/10/22(金) 00:35:00|
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王滝森林鉄道 二号隧道4

長野県木曽郡木曽町三岳橋渡

訪問日 2009/2/10

そして、それから翌月の2月10日に再訪した。

【地図】

前回の訪問日(1月19日)から、この日までは、全くもって天気は良し。気温も上々の日々が続いていた。私は雪解けの“頃合い”をみて再訪したのだが…。

ビンゴ!積雪もなし!

どうでもいい事かも知れないが、上の写真をアップする際に気付いた事と、思い出した事がある。
私はてっきり上の写真にある【路盤への登り口】と、前編にて掲載した、1月19日撮影の【路盤への登り口】は、同位置だと思っていたのだが、落石注意の道路標識の有無を見て、ここたは違う場所だという事に気付いたのだ…。

前編での、雪の積もった登り口は、ここよりも、もう少しだけ「県道473号線」を奥に歩いた所だった。
では、なぜ前回この登り口からアプローチを試みなかったのか(写真すら撮影していないし…)自分自身しばらく思い出せなかったが、この登り口の手前、県道脇に除雪された雪がてんこ盛りのバリケード状態で取り付く島がなかったのだった


雪が無ければ、何て事はない。あっさり路盤跡に登る事が出来た。
そして…。

やっぱり出ました!隧道!

振り返って王滝村方向を撮影。路盤が続いている。

「隧道」と「長野県道20号線」の「常盤橋」と、路盤直下には「長野県道473号線」がある景色。 続きを読む
  1. 2010/10/18(月) 02:00:00|
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王滝森林鉄道 二号隧道3

長野県木曽郡木曽町三岳橋渡

訪問日 2009/1/19

怪しい…。から始まった隧道探索。

しかし…。


やっぱ、なんかありそうなんだよな~、と。

王滝川に架かる「県道20号開田三岳福島線」の常盤橋を脇に見ながら…。

「県道473号上松御岳線」を歩く。
写真では雪が積もり、いかにも寒々しい景色だが、実際はそうでもなかった(確か、気温は5℃ぐらいはあったと思う…。温暖な地に住んでいる方々からすれば「充分寒いわっ!」と思われるかもしれないが、長野県の真冬で日中5℃の気温は正直ありがたい。その証拠に、県道上の雪は解けて流れている)

まあ、ともかく、見上げて見れば、これって林鉄軌道の路盤でしょ。

何か見えてるし。

だけど“イヤらしい”な、こいつ。

何がイヤらしいって、県道からでは、どう見上げて見ても

「よく見えね~っ」

さ加減よ! 続きを読む
  1. 2010/10/16(土) 21:36:00|
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王滝森林鉄道 二号隧道2

長野県木曽郡木曽町三岳橋渡

訪問日 2009/1/19


「長野県道20号開田三岳福島線」上から撮影。

【現在地】

【大きい地図はこちら】

前編にて述べた「小川線」と「王滝線」の分岐地点 【鬼渕停車場跡】 から、現在地であるここまでは「林道台ヶ峰線」が通っている(最初に掲載した地図でも分かるが、地図の右側から長野県道20号線に接続しているのがそれ)
そして、その「林道台ヶ峰線」こそが、かつての「王滝線」の跡を踏襲している。
尚“林道”と聞くと、ついつい狭隘な悪路を連想してしまうのだが、この「林道台ヶ峰線」については、舗装化されているのは勿論、日本全国あちこちに点在する「おっす!おいら“酷(国)道!よろしくな!」みたいな、ドライブではお付き合いしたくない道よりも、遥かに快適な整備された林道である(確か、一部区間は林道から県道へ格上げ指定されたと記憶している) 続きを読む
  1. 2010/10/15(金) 03:11:00|
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王滝森林鉄道 序(二号隧道)

私は交通遺跡に格付けやランキングというものは付けない、付けたくない性分である。
長かろうが短かろうが、古かろうが新しかろうが、険しかろうが易かろうが“廃は廃”だ。が、そんな私の主義など微塵に粉砕する“交通遺跡”が長野県には存在する。
それは「木曽森林鉄道」だ。
もうこの定まらないブレまくりの書き出しからして既に露見しているのだが、今回本レポを書くのに私はかなり躊躇した。
長大かつ広範囲に敷かれた「木曽森林鉄道網」は当然、歴史が古い。それに対して私は、その林鉄網のごく一部、数ヶ所をピンポイントで見ただけだ。
しかも、図書館通いや資料集めと言った「探索者の本分」でもある“机上調査”などは一切していない。
そこへもって、既に調査を成し遂げている先人達への畏敬の念と、自分に対する“今更”の念と…。

少々、愚痴っぽくなったが、道の傍らに残存する廃道、廃隧道や廃橋等とは違い、そもそも路線そのものが廃止され、またその区間に隧道や橋梁跡が残存したり、またはしなかったりする「森林鉄道」というものの調査は、最初から最後まで、起点から終点まで、路盤を実際歩いて、写真撮影なりをして、そこで得られた情報や疑問を机上調査で解明して行くのが正道王道なのだが、所謂“つまみ食い”の状態である私にはまだ早い、と言うか、手を付けるべきではない「高嶺の花」に見えたし、思えた。
果たして、私如きが「木曽森林鉄道」関連を語って良いのか散々悩んだのだが、結果こうしてレポ化する事にした。

「何も自分の好きなものを、わざわざ自分から遠ざける必要もなかろう…」

と言うのが一番の理由で、肩の力を抜いたのだ(←その晩寝違えて首が回らなくなったのは秘密だ)

さて、吐露の次はうんちくだ。
巷ではよく「木曽森林鉄道」と言うが、実際には「木曽森林鉄道」と言う名の路線は存在しない。
「木曽森林鉄道」とは長野県塩尻から岐阜県境まで続く広大な木曽谷に在する、各町村に敷設された無数の森林鉄道路線網の総称なのだ(勿論、各林鉄路線が全て直接繋がっている訳ではない) 続きを読む
  1. 2010/10/14(木) 03:56:37|
  2. ●廃線 鉄道 森林鉄道
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事後(事故)報告

……。
何たる事か、昨晩「花房隧道2」と「花房隧道」最終回が“消失”してしまいました…(涙)
原因は不明です…(号泣)と言えれば楽なのですが、原因は単なる私自身の“ミス”です。orz

が、何とか一から書き直して復旧させました(血の涙が出ましたよ…、そりゃ…)ただ、消失以前にせっかく当該レポに戴いた拍手も消えてしまいました。

拍手をしていただいた読者様方々には申し訳ないです。ごめんなさい。

まあ、とにかく復旧させました…。

おわり。
  1. 2010/10/08(金) 02:37:42|
  2. ●交通遺跡調査室分室
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長野県道256号御岳王滝黒沢線 花房隧道 最終回

長野県木曽郡木曽町三岳

訪問日 2009/1/04

約束された終焉。


車庫として使われている花房隧道の現在。

ガードレールで塞がれている、その先の向こうには…。


“終焉”だった!


通行止めのガードレールを乗り超えて、シェッド側(隧道側)を撮影…。

更に、ボソボソと花房隧道を撮影…。

すぐに“終焉”へ近づかないのは勿体ぶるとも、ビビっているとも言う。
そしてやっと進む。

…。
かつて、この先には「“旧”六段橋」があった…。
勿論、道(長野県道256号御岳王滝黒沢線の旧道)もあった…。そして前編でも述べたが、旧六段橋は平成15年3月18日に発破されて撤去された…。
ここであらためて思った。

道は人を通して初めて道となり、橋は架かって初めて橋となる。


……、てか無理だわ…。

(六段橋、王滝川右岸側からみた花房隧道と、旧六段橋跡の風景)
何が無理かと言えば、今、私が立っているのは、ここの【ここ】だ。

ネット上では、ここよりもずっと先(と言っても数メートル先だが、それが遠い…)にある、旧橋の橋台跡の先端まで歩を進めて、写真を撮影している猛者がいるが、私には絶対に無理!
直立で写真を撮ろうにも、手足がブルブル震えてピンぼけ続出。

往時、この道の左右にはガードレール等の装備があったのだろうが、今となっては只の平地。左右のどちらかにも近寄りたくもないし、こうして道跡のド真ん中で立っているのも怖い…。

仕方なくしゃがみこんで数十センチずり進む…。 続きを読む
  1. 2010/10/08(金) 01:19:47|
  2. ●隧道(トンネル)
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長野県道256号御岳王滝黒沢線 花房隧道 中編

長野県木曽郡木曽町三岳

訪問日 2009/1/04

お猿の楽園。


振り返って現道との分岐部分を撮影(写っているのは私の指お化けです…)

そう言えば、今日は長野県の冬らしからぬ暖かさだ。
そりゃ猿たちも日向ぼっこしたくなるよなぁ…。更に、そこへ“山の匂い”も加わった事で、何だか自分もここで横にでもなって日向ぼっこをしたいなぁ…(←実際したら変態行為)と思っていたら…。

出たよ。

出た!

花房隧道!

以下、隧道スペック。

花房隧道

昭和33年竣工
延長29m
車道幅員5m
限界高4.9m

竣工年が昭和33年というだけあって(これは、日本全国における廃止は勿論、未だ現役も含む隧道トンネルの中では、比較的まだ新しい隧道トンネルに入る)この「花房隧道」の、コンクリート製抗門からは古臭さや、それこそ明治生まれの「只今廃隧道まっしぐら!苔むしています!」みたいな“禍々しさ”は感じない。
てな訳で、いざ、にゅーどー。

てか、前の写真からだと、隧道内から車が出て来てそうに見えている(実際に顔を出しているのは、こいつだ)が、当然そんな事はなく、この花房隧道は廃止された平成14年以降、木曽建設事務所の車庫として使われている。
道も隧道も荒れていないのは、本来の役目を終えた後も、別の役目で現役だからだ。

やっぱり短い。

一台目の車の陰に隠れただけでこんなにも暗い。 続きを読む
  1. 2010/10/08(金) 01:02:57|
  2. ●隧道(トンネル)
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改装工事が終わりました。

先日お知らせしました改装工事が終了いたしました。(とは言っても、今までの内容とは、ほとんど変わっておりませんし、加筆修正もありません)
尚、更新毎の内容量が増えた事で、現在執筆中の「花房隧道」の“話数”が変わり、既に「花房隧道1」をお読みの方には、多少の混乱を招くかも知れません。予めご了承くださいませ。

m(_ _)m

おわり。
  1. 2010/10/04(月) 02:44:36|
  2. ●交通遺跡調査室分室
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お知らせ

工事予告です。と、まずそれを言うよりも前に、まさか私如きのブログに拍手を下さる読者さま。ありがとうございます。

つきましては私、室長tyafficが多少なりにブログ作成に慣れてきたので、当レポをより読みやすくする為に、過去の記事を順次リニューアルさせていただきます(主に画像写真の表示変更です)

私自身が気にはなっていたのですが、ブログの投稿内容量の制限とは言え、あまりにも一回毎の内容が短く、とは言え出来るだけ写真も載せたいしと葛藤してまいりましたが、画像の表示方法を変更する事でその問題が解決出来そうです。

あちこちいじりますので、お読みになる読者さまには不便をかけるかも知れませんがご了承くださいませ。m(_ _)m

おわり。
  1. 2010/10/03(日) 04:24:30|
  2. ●交通遺跡調査室分室
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長野県道256号御岳王滝黒沢線 花房隧道

長野県木曽郡木曽町三岳

訪問日 2009/1/04

長野県の南西部にある王滝村。
古くは木曽檜の産地として栄え、日本三大美林の一つに数えられたこの村は“木曽森林鉄道”でもよく知られている。

今回はその王滝村(厳密に言うと、今回の紹介地点は長野県木曽郡木曽町三岳であるが、仔細は後述)にある、廃隧道を紹介したい。

【地図】

【大きい地図はこちら】

長野県道256号御岳王滝黒沢線を、起点の黒沢交差点から西にしばらく走ると現れるのが牧尾ダムだ。

王滝川をせき止める巨大な堤。
昭和32年に着工、同36年完成した中央土質遮水壁型ロックフィルダムであるこの牧尾ダムは、別名御岳湖と呼ばれ、中京圏に重要な水資源を供給している。

ところで、この牧尾ダムの写真をどこから撮影しているのかと言うと、長野県道256号御岳王滝黒沢線にある「六段橋」の上からだ。

(逆に牧尾ダムから撮影した「六段橋」尚、上記の写真2枚は2009年6月2日に撮影)

確か「六段橋」の名前の由来は古い…、筈なのだが、以下は私のうろ覚えなので信憑性には自信はない。

以下うろ覚え。

「木曽林鉄時代よりも前、当地での木材の運送は筏流しにて行われていたのだが、現在の六段橋付近は余りにも川の流れが複雑で、筏の木材が全て下流に流れ切るまで楽器の琴の弦、上段から下段の六弦、六段、全て演奏してもまだ余った」

という謂われから「六段橋」という名前がついた…と、記憶しているのだが、それを一体どこで拾った情報なのかが思い出せない…(情報求む)

ちなみに、この現在の「六段橋」の開通は、平成14年11月12日で、“旧"「六段橋」は、平成15年3月18日に爆破工法により(←!!)撤去されている。 続きを読む
  1. 2010/10/01(金) 03:31:06|
  2. ●隧道(トンネル)
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