黒河内森林鉄道 中編
長野県伊那市長谷黒河内
訪問日 2009 5.11

前編での「仙流荘」の写真(この写真は、2011年2月9日に慌てて撮影したもの。実際現地での私は、2009年5月11日の真っ昼間に立っています)
そうか…。ここが、かつての貯木場跡だったのか…。
私はこの日(しつこいが、2009年5月11日の真っ昼間にて)この「仙流荘」の裏の方、山側を、周囲からは怪しまれない程度に踏み入って見てみたのだが、そこには古い丸石の石垣が積まれていた。
その石垣を見ただけで「林鉄貯木場跡なのだろうよ…」という説得力は充分に伝わってきた。

ちなみに(これまた、しつこいが、慌てて再撮影をした2011年2月9日の「仙流荘」夕景)この写真。林道の先に、ちょっと明るい光が見えているのがお分かりだろうか。
あれは、伊那市営のシャトルバスの発着所に設置されている自販機の灯りである。

(2009年5月11日撮影)そのシャトルバス発着所を背後にして撮影。
いよいよ、この先が本格的な軌道跡なのか?
尚、この先に続く「南アルプス林道」は「戸台大橋ゲート」【地図】にて、マイカー規制(バイク、自転車も含む)が行われていて、一般車両はそこで通行止めである。
また、その戸台大橋付近には、入山をする(マイカーで来た)登山客を許容出来るだけの駐車場がないので、実態としては、南アルプス登山へマイカーで来た登山客は、仙流荘近くにある駐車場にて車を停めてから、後は「仙流荘」近くの、例のバスターミナルから定時出発往復するシャトルバスを利用しているのが大半だ。
また逆を言えば、戸台大橋ゲートまではマイカーで行けるし、先程記した「戸台大橋」の地図を見ればお分かりだろうが、そこから左に分岐して「入笠牧場」【地図】へ至る「黒河内林道」も通る事は可能なのだ(現に「黒河内林道」でネット検索をすると、オフロードバイク系のサイトにおいて同林道が結構の数ヒットする)
ちなみに、戸台大橋ゲートでの一般車輌通行止めを案内する看板が上の写真、右側に有るのだが…。私は“とある圧力”を感じた結果、早とちりをしてしまい、既にここからがマイカー規制路線だと勘違いをしてしまった。
だってさ…。

写真に写っている白いライトバンに乗っていた作業服姿のおっちゃんが、俺をガン見するんだもん…。

只今の私は車(マイカー)などは、とっくの前の「仙流荘」前の駐車場に停めてから、徒手空拳の徒歩移動である。
それにも関わらず、ライトバンの車内からいちいち私の挙動に目を凝らす「おっちゃん視線」が余りにも痛かったので、私は程々で引き返した。が…、写真左にもある石垣を見て思った。
やっぱりこれは軌道跡だな…。
さて、これからどうするか?…も、何もない。引き返すしかない…。

引き返した挙げ句のシャトルバス発着所。
規制はあくまでも車両が対象なのに、徒歩の私を、何故に監視員のおっちゃんはあんなに睨みつけるんだ…。何にもワルい事はしていないのに…。
と、不満に思いながら、私は自宅へと帰投した。そしてこれが、2009年5月11日の探索の実態である。
どうにもこうにも、この「黒河内森林鉄道」には悔しい思いしかないのは一体どういう事か。未練が残る…、どころでは済まない。
ここで、当記事(中編)をお読みいただいている方々に問いたい。
「これで納得出来ますかね!?」
出来る訳がない。少なくとも私は納得など出来ない!“執念”が生まれたのはこの時である。
一体どこの何の、誰に対しての“何なのか”は分からないけれど、とにかく「ざまぁみろ!」と言いたかったのだ。
それ故、この一週間後の5月18日に再び同地へと訪れた。いや、行ってやった!のだが…、いざ訪れてみたら、何て事はない…。
先週のオヤジ&ライトバン(略して“オヤジバン”)もいなければ、この先の林道でも、いかにもレジャー感たっぷりのファミリーカーが自由に行き来している…。改めて案内看板を見れば、先述した通り「戸台大橋ゲートにて一般車両通行止め」となっている。
「一体、あの“オヤジバン”は何だったんだよ…」
と、言うか、どうやら私はこの「黒河内森林鉄道」から嫌われているようだ…(写真の紛失やら勘違いやらが多過ぎる)と、正直この時思った…。
でも、まあいい。何にしろ今は邪魔をする者はいないんだから!
と、言う事で、この5月18日。私はやっと「黒河内森林鉄道」への本格的な進入が叶ったのだ(以下からの写真は2009年5月18日の撮影となります)

あの“オヤジバン”(私の生まれ年代がバレそうなので、あまり言いたくはないが「宇宙刑事」シリーズと、ついつい言いたくなる)が鎮座していた所を、ちょっと過ぎたらこれだ。
間違いない。軌道跡だよ。これ。まあ、何がどうしてって根拠はないけれどさ。

更に約1.3Km程進んだら…、ほら出た!
廃レールを再利用した落石防護柵。
こういうのを捜していたんだよ
!
ところで、この箇所に限らず、こちら界隈は崩れた岩の色がやけに青い…。「中央構造線」やら「蛇紋岩」やら、その道にお詳しい方々からすれば、何て事はない分野の話なのだろうが、それに疎い私は、これら「青い景色」を眺める度に「あ~、南アルプスに近いな~」とだけしか思えない程度だ。
更に進む。

うお~!良い眺め!
てか。【なんかあるし!】
進む!

車道(林道)に転用された軌道跡の風景。

その特徴の一つとして「変わり映えしない風景」と言うのがある。
鉄道軌道由来の道は、勾配が穏やかで、苦しいカーブがない。その為、どこを撮影しても同じ場所、同じような風景に見えてしまう。
ここで、もう一度言う。
オレは、こういうのをやりたかったんだよ!
尚、左の石垣から“コポコポ”と音が聞こえて、私は一瞬戸惑ったのだが、石垣の上端はどうやら水路のようだ。

それにしても、ここは気分爽快だ。小黒川の流れる音も実に心地良い…。そして。

キタっ!

キタよ!隧道がっ!

【現在地】
「鷹岩隧道」(後述するが「鷹岩“井”隧道」という名が正確かも知れない)
訪問日 2009 5.11

前編での「仙流荘」の写真(この写真は、2011年2月9日に慌てて撮影したもの。実際現地での私は、2009年5月11日の真っ昼間に立っています)
そうか…。ここが、かつての貯木場跡だったのか…。
私はこの日(しつこいが、2009年5月11日の真っ昼間にて)この「仙流荘」の裏の方、山側を、周囲からは怪しまれない程度に踏み入って見てみたのだが、そこには古い丸石の石垣が積まれていた。
その石垣を見ただけで「林鉄貯木場跡なのだろうよ…」という説得力は充分に伝わってきた。

ちなみに(これまた、しつこいが、慌てて再撮影をした2011年2月9日の「仙流荘」夕景)この写真。林道の先に、ちょっと明るい光が見えているのがお分かりだろうか。
あれは、伊那市営のシャトルバスの発着所に設置されている自販機の灯りである。

(2009年5月11日撮影)そのシャトルバス発着所を背後にして撮影。
いよいよ、この先が本格的な軌道跡なのか?
尚、この先に続く「南アルプス林道」は「戸台大橋ゲート」【地図】にて、マイカー規制(バイク、自転車も含む)が行われていて、一般車両はそこで通行止めである。
また、その戸台大橋付近には、入山をする(マイカーで来た)登山客を許容出来るだけの駐車場がないので、実態としては、南アルプス登山へマイカーで来た登山客は、仙流荘近くにある駐車場にて車を停めてから、後は「仙流荘」近くの、例のバスターミナルから定時出発往復するシャトルバスを利用しているのが大半だ。
また逆を言えば、戸台大橋ゲートまではマイカーで行けるし、先程記した「戸台大橋」の地図を見ればお分かりだろうが、そこから左に分岐して「入笠牧場」【地図】へ至る「黒河内林道」も通る事は可能なのだ(現に「黒河内林道」でネット検索をすると、オフロードバイク系のサイトにおいて同林道が結構の数ヒットする)
ちなみに、戸台大橋ゲートでの一般車輌通行止めを案内する看板が上の写真、右側に有るのだが…。私は“とある圧力”を感じた結果、早とちりをしてしまい、既にここからがマイカー規制路線だと勘違いをしてしまった。
だってさ…。

写真に写っている白いライトバンに乗っていた作業服姿のおっちゃんが、俺をガン見するんだもん…。

只今の私は車(マイカー)などは、とっくの前の「仙流荘」前の駐車場に停めてから、徒手空拳の徒歩移動である。
それにも関わらず、ライトバンの車内からいちいち私の挙動に目を凝らす「おっちゃん視線」が余りにも痛かったので、私は程々で引き返した。が…、写真左にもある石垣を見て思った。
やっぱりこれは軌道跡だな…。
さて、これからどうするか?…も、何もない。引き返すしかない…。

引き返した挙げ句のシャトルバス発着所。
規制はあくまでも車両が対象なのに、徒歩の私を、何故に監視員のおっちゃんはあんなに睨みつけるんだ…。何にもワルい事はしていないのに…。
と、不満に思いながら、私は自宅へと帰投した。そしてこれが、2009年5月11日の探索の実態である。
どうにもこうにも、この「黒河内森林鉄道」には悔しい思いしかないのは一体どういう事か。未練が残る…、どころでは済まない。
ここで、当記事(中編)をお読みいただいている方々に問いたい。
「これで納得出来ますかね!?」
出来る訳がない。少なくとも私は納得など出来ない!“執念”が生まれたのはこの時である。
一体どこの何の、誰に対しての“何なのか”は分からないけれど、とにかく「ざまぁみろ!」と言いたかったのだ。
それ故、この一週間後の5月18日に再び同地へと訪れた。いや、行ってやった!のだが…、いざ訪れてみたら、何て事はない…。
先週のオヤジ&ライトバン(略して“オヤジバン”)もいなければ、この先の林道でも、いかにもレジャー感たっぷりのファミリーカーが自由に行き来している…。改めて案内看板を見れば、先述した通り「戸台大橋ゲートにて一般車両通行止め」となっている。
「一体、あの“オヤジバン”は何だったんだよ…」
と、言うか、どうやら私はこの「黒河内森林鉄道」から嫌われているようだ…(写真の紛失やら勘違いやらが多過ぎる)と、正直この時思った…。
でも、まあいい。何にしろ今は邪魔をする者はいないんだから!
と、言う事で、この5月18日。私はやっと「黒河内森林鉄道」への本格的な進入が叶ったのだ(以下からの写真は2009年5月18日の撮影となります)

あの“オヤジバン”(私の生まれ年代がバレそうなので、あまり言いたくはないが「宇宙刑事」シリーズと、ついつい言いたくなる)が鎮座していた所を、ちょっと過ぎたらこれだ。
間違いない。軌道跡だよ。これ。まあ、何がどうしてって根拠はないけれどさ。

更に約1.3Km程進んだら…、ほら出た!
廃レールを再利用した落石防護柵。
こういうのを捜していたんだよ
!
ところで、この箇所に限らず、こちら界隈は崩れた岩の色がやけに青い…。「中央構造線」やら「蛇紋岩」やら、その道にお詳しい方々からすれば、何て事はない分野の話なのだろうが、それに疎い私は、これら「青い景色」を眺める度に「あ~、南アルプスに近いな~」とだけしか思えない程度だ。
更に進む。

うお~!良い眺め!
てか。【なんかあるし!】
進む!

車道(林道)に転用された軌道跡の風景。

その特徴の一つとして「変わり映えしない風景」と言うのがある。
鉄道軌道由来の道は、勾配が穏やかで、苦しいカーブがない。その為、どこを撮影しても同じ場所、同じような風景に見えてしまう。
ここで、もう一度言う。
オレは、こういうのをやりたかったんだよ!
尚、左の石垣から“コポコポ”と音が聞こえて、私は一瞬戸惑ったのだが、石垣の上端はどうやら水路のようだ。

それにしても、ここは気分爽快だ。小黒川の流れる音も実に心地良い…。そして。

キタっ!

キタよ!隧道がっ!

【現在地】
「鷹岩隧道」(後述するが「鷹岩“井”隧道」という名が正確かも知れない)
【先程の写真】を見れば分かるが、簡単に言えば、ここには“ボっコっ!”と高い岩場があり、その岩場の地名が「鷹岩」という事なのか(延長30mも満たないこの隧道は地図表記されていない)

おっと、入洞する前に“コポコポ”石垣の正体の用水路。かなり年季の入った用水路だ。
そんでもって、隧道に入る。

素堀り外壁にコンクリートの吹き付けが成されている。

これが林鉄軌道当時往時のオリジナルの姿ではないと思う。
隧道の高さはともかく、幅員が林鉄用としては広過ぎる。
おそらく車道化されてから、観光バス等大型車を通す為に拡幅され、共に吹き付けコンクリート壁に補強されたのだろう。多分。

振り返って撮影。

隧道の先には橋があるようだ。

「鷹岩橋」(仮)

隧道を抜けて「鷹岩橋」を渡る。
橋の左側は小さいながらも、風情がある滝が落ちていた。ナイス滝!

振り返って「鷹岩隧道」を撮影。
かっけぇ~隧道だなぁ…、と、ニヤケ面をしつつ、ふと橋の方へ目をやると…。

ん?て、てか(リアル“二度見”の瞬間)この橋の欄干っ!廃レールが埋め込まれているじゃないか!
つまりは…。この「鷹岩橋(仮)」は、林鉄の軌道廃止後に造られた可能性が高いという事になるのだろう。とか、蘊蓄を言う以前に、一応の「RC橋」(鉄筋コンクリート橋)と呼べるのだろうが、兎にも角にも「こんな破天荒な造りの橋はないだろw!」と、私は現地にて思わず笑ってしまった。
まあとりあえず、橋を渡り切って全体を撮影。
標識にもあるように、橋の重量制限は「14t」と、破天荒な造りの割には結構タフな橋だとも言えるなw。

ちなみに写真右にある看板の内容はこう。

その看板脇から撮影。
廃道や廃線歩きをしていて、隧道トンネルや橋梁が現れると、同時に考えるのが「隧道や橋梁に対応する旧道、旧線の存在」である。
それらが出来る前には、必ずそれに対応していた“旧道”や“旧線”が存在する。それが“廃”の常套手段だ。
では、ここは?と、問われたら、私なりの観察眼で言えば、鷹岩隧道竣工以前の林鉄旧線跡は有り得ないと思う。
せいぜい鷹岩隧道(鷹岩なる難所)を、ぐるりと巻く徒歩道のような道の跡が見えるような気がする“程度”なのだが…。
上の写真を撮影している私の足元には。

厄介な事に、何だか意味ありげな石垣が築かれている…。
ただ、どう見ても“林鉄の新旧線”の二本のラインとは思えない。
ひょっとしたら同じ“道”でも“森林鉄道”と“水路”の違いなのかも知れない。

再び振り返って鷹岩隧道を撮影。
この鷹岩隧道の仙流荘側坑口、真正面の写真を挙げた時に、正式名は「鷹岩井隧道」かも知れないと、意味ありげな事を言ったが、それには訳がある。
実はこの訪問後、すぐにこの「鷹岩隧道」を、ネットで検索したら、唯一1件だけヒットした。
そこがどこの何のサイトなのかは覚えていないが、確か個人運営のホームページとかではなく、旧長谷村や隣町であった旧高遠町(共に平成18年に伊那市と合併)の役場か、または民俗資料館なりの、ともかく公共機関が運営しているらしいホームページ内にて、この地元で昔から伝わる「いろは歌」のようなものを紹介していたのだが、その中に、この鷹岩隧道があった。
その「いろは歌」では「鷹岩井隧道。三合めんぱの隧道」と詠われていて、内容としては「険しい立地の鷹岩に隧道を掘り始めたが、その掘削貫通には非常に難儀をし、しかも命懸けで仕事をしても、一日の日当が三合めんぱ(三合飯の弁当)程度にしかならなくて割りに合わない」と言った内容であったのを覚えている…。
残念ながら、当記事を書くにあたり、それから2年近く経った現在、どう検索しても、そのサイト自体が見つからない為「鷹岩井隧道」なり「三合めんぱの隧道」の由来は、単なる私の記憶からの出典であるから余り当てにはしないで欲しい…。うむ…、残念…。
(当記事の公開後、読者さまから貴重なコメントを頂いたので、僭越ながら転載する。
「ご不明の資料は建設省中部地方局ミブ川総合開発事務所が発行した2000年ダムニュース戸草美和ではないか(中略)確かにその中の風土資産絵地図にいろはカルタみたいなのが載っていました。
”鷹岩井弁当一杯難工事”これではないでしょうか」
情報提供をしていただいた「おめんや」さまに感謝いたします!(2016/7/8 追記)
【後編】へ続く。

おっと、入洞する前に“コポコポ”石垣の正体の用水路。かなり年季の入った用水路だ。
そんでもって、隧道に入る。

素堀り外壁にコンクリートの吹き付けが成されている。

これが林鉄軌道当時往時のオリジナルの姿ではないと思う。
隧道の高さはともかく、幅員が林鉄用としては広過ぎる。
おそらく車道化されてから、観光バス等大型車を通す為に拡幅され、共に吹き付けコンクリート壁に補強されたのだろう。多分。

振り返って撮影。

隧道の先には橋があるようだ。

「鷹岩橋」(仮)

隧道を抜けて「鷹岩橋」を渡る。
橋の左側は小さいながらも、風情がある滝が落ちていた。ナイス滝!

振り返って「鷹岩隧道」を撮影。
かっけぇ~隧道だなぁ…、と、ニヤケ面をしつつ、ふと橋の方へ目をやると…。

ん?て、てか(リアル“二度見”の瞬間)この橋の欄干っ!廃レールが埋め込まれているじゃないか!
つまりは…。この「鷹岩橋(仮)」は、林鉄の軌道廃止後に造られた可能性が高いという事になるのだろう。とか、蘊蓄を言う以前に、一応の「RC橋」(鉄筋コンクリート橋)と呼べるのだろうが、兎にも角にも「こんな破天荒な造りの橋はないだろw!」と、私は現地にて思わず笑ってしまった。
まあとりあえず、橋を渡り切って全体を撮影。
標識にもあるように、橋の重量制限は「14t」と、破天荒な造りの割には結構タフな橋だとも言えるなw。

ちなみに写真右にある看板の内容はこう。

その看板脇から撮影。
廃道や廃線歩きをしていて、隧道トンネルや橋梁が現れると、同時に考えるのが「隧道や橋梁に対応する旧道、旧線の存在」である。
それらが出来る前には、必ずそれに対応していた“旧道”や“旧線”が存在する。それが“廃”の常套手段だ。
では、ここは?と、問われたら、私なりの観察眼で言えば、鷹岩隧道竣工以前の林鉄旧線跡は有り得ないと思う。
せいぜい鷹岩隧道(鷹岩なる難所)を、ぐるりと巻く徒歩道のような道の跡が見えるような気がする“程度”なのだが…。
上の写真を撮影している私の足元には。

厄介な事に、何だか意味ありげな石垣が築かれている…。
ただ、どう見ても“林鉄の新旧線”の二本のラインとは思えない。
ひょっとしたら同じ“道”でも“森林鉄道”と“水路”の違いなのかも知れない。

再び振り返って鷹岩隧道を撮影。
この鷹岩隧道の仙流荘側坑口、真正面の写真を挙げた時に、正式名は「鷹岩井隧道」かも知れないと、意味ありげな事を言ったが、それには訳がある。
実はこの訪問後、すぐにこの「鷹岩隧道」を、ネットで検索したら、唯一1件だけヒットした。
そこがどこの何のサイトなのかは覚えていないが、確か個人運営のホームページとかではなく、旧長谷村や隣町であった旧高遠町(共に平成18年に伊那市と合併)の役場か、または民俗資料館なりの、ともかく公共機関が運営しているらしいホームページ内にて、この地元で昔から伝わる「いろは歌」のようなものを紹介していたのだが、その中に、この鷹岩隧道があった。
その「いろは歌」では「鷹岩井隧道。三合めんぱの隧道」と詠われていて、内容としては「険しい立地の鷹岩に隧道を掘り始めたが、その掘削貫通には非常に難儀をし、しかも命懸けで仕事をしても、一日の日当が三合めんぱ(三合飯の弁当)程度にしかならなくて割りに合わない」と言った内容であったのを覚えている…。
残念ながら、当記事を書くにあたり、それから2年近く経った現在、どう検索しても、そのサイト自体が見つからない為「鷹岩井隧道」なり「三合めんぱの隧道」の由来は、単なる私の記憶からの出典であるから余り当てにはしないで欲しい…。うむ…、残念…。
(当記事の公開後、読者さまから貴重なコメントを頂いたので、僭越ながら転載する。
「ご不明の資料は建設省中部地方局ミブ川総合開発事務所が発行した2000年ダムニュース戸草美和ではないか(中略)確かにその中の風土資産絵地図にいろはカルタみたいなのが載っていました。
”鷹岩井弁当一杯難工事”これではないでしょうか」
情報提供をしていただいた「おめんや」さまに感謝いたします!(2016/7/8 追記)
【後編】へ続く。